2007年7月10日火曜日

Be professional!!!


以前、このブログにて、ブルーのユニホームに袖を通し、いつの日か、ワールドカップのフィールドに立つ!みたいな夢を書いたことがあった。どうすれば、そんなプロフェッショナルになれるかなぁ~なんて、漠然に考えてもロスなんで、ブラ~っと、大学の図書館を散歩した。
発見した本は、「世界級のキャリアの作り方」(東洋経済新報社.1,500円.石倉洋子&黒川清の対話調)で、この作者でもある石倉洋子こそが、我がMBAスクールの副学長であり、日本人女性初のハーバード経営学博士号(DBA)を取得し、マッキンゼーにてバリバリのキャリアを積まれた方なんです。クラスでもそうですが、相当なバリバリ度を簡単に感じる事ができます。オーラがあり、魅力的です。
この本で、石倉は、日本人には、世界で通用するプロが少なすぎる!っと警告し、日本の文化、政治、思想が、社会を構成する20:60:20=上位:中位:下位と分類したときに、下位の20をどう拾い上げるかに集中している事を警告している。今こそ、上位20+中位60のレベルをどう高めるか?こそが、国全体の底上げになると、ある意味、面白い視点を表現している。彼女は、毎年、スイスで開催される政経財主要人物が集うダボス会議にパネリストして出席しており、その経験から、日本のCEOは、メッセージを残せない!っと嘆いている。他国の代表は、30代で、パネル討論にて熱いメッセージを残すそうである。彼女曰く、当時、飛ぶ鳥落とす勢いのCISCOシステムズ-ジョンチェンバース会長に、一歩も引けを取らず自分の主張をしたソフトバンクの孫正義は、精彩を放っていた。っと回顧している。
この本で言う、プロフェッショナルとは、組織・会社・肩書に関係なく、個人の腕だけで活動できる人をプロと呼ぶ。「A大学B学部を卒業し、現在、C株式会社のD事業部にて課長をしていますXXXです。」っをアマチュアと呼ぶ。当然、本の中では、野茂英雄、中田英寿、小沢征爾らが会話のなかで登場してくる。中田英寿は、イギリスでは、英語で会見し、イタリアでは、イタリア語でメッセージを残す。日本メディアに、「なぜ、日本語で会見しないのか?」と問われると、「ここは、日本ではないから」と答えた。時に、中田の言動は、日本人から生意気と捉えられた。日本基準の中で生きているファンを失っても、世界基準を分かるファンを得る方が、価値があるからである。
この本は、全然、難しくないので、3時間くらい要したけど、久しぶりのぶっ通しで、読みきった。今の僕には、ボディーブローの様に響くメッセージが多く、良い本と出会えたなぁ~っと痛感する。
【国際派プロに必要な5つの力】
①現場力
テレビ、新聞からの情報に左右される事なく、現実を自分の目と耳で確かめ、判断する。判断の情報は、受動的ではなく、自ら、能動的に取りにいく。N=1のコメントにぶれない。そのN=1が、上司orCEOであろうと、自分の情報で判断する。
②表現力
英語が流暢である事は、重要ではない。その中味が鍵となる。材料を多く持ち、相手に分かり易く、関連付けて話す能力。外国での経験より、人に伝えたい意見が大切。
③時感力
時間への感度を持つ事、物事を進めていく順序への感度を持つ事。どこかで、時を切って、無理やりにでも完結させるぞ!という意識を持つ事。
④当事者力
評論家ではなく、自分だったら何をするか、どうやってやるか?を常に考える事。人を批判するのではなく、その代替案を必ず提案する事。当事者になってこそ、はじめて全体が見えてくる。
⑤直観力
全体像を把握し、本質を見極め、一番の勘所へ一直線に進む力。5つの力の中で、一番、習得が困難。どう身に付けるか?答えはないが、僕の解釈するに、経験、感度、アンテナ高さかな?その訓練の連続かな?
【読書感想】
まぁ、MBAは、ビジネスプロを養成する予備校だから当然だし、ましてや、作者である石倉教授は、我がスクールの副学長であるから、この本で書かれている要素は、我がビジネススクールで、クラス討論、問題提起の中で、常に生徒達に問いかけられている。その毎日なんだけど、自分もプロフェッショナルに憧れる故、今、苦労している事が、「自分の腕を磨く」ことにつながると、堅く信じる。この意気込み、この思い、この気合は、時が経つにつれ、モチベーションが下がるにつれ、忘れがちになるんだろうなぁ~って想像する。そんな時、やっぱり、このブログで、Visualize&Describe させる事で、ずっと時が経過した時に、読み返したいよね。こんな自分も居たんだなぁ~って。どうか、このブログが10年後の自分にエールを送るものでありますように!


PS:
今テーマは、非常に長くなっているが、それでも、今日は、書く!この本の出版は、2005年5月25日発行。僕が、MBA面接を受けた時期が、2005年4月前半。運がいいか、悪いか、僕の面接官は、3人の教授で、彼女は、真ん中に座っていた。彼女は、この本のP200で、「表現力」のテーマで、次のようにコメントしている。
私の所属するXX大学の国際企業戦略研究科では、英語でMBAプログラムを提供している為、面接はもちろん英語で行う。その応募者の中に、日本人なのに、英語ですばらしい受け答えをするビジネスマンが現われた。なのに、これまで、15分程度英語で自分の発表をした事があるだけで、外国に住んだ事は全くないという。彼は、自分の見解をはっきり持ち、何しろ、伝えたいという意欲が高く、海外経験がないとは思えないほど、自由に自分の意見を述べた。この面接は、面接を受ける側にとって合格という良い結果になっただけでなく、面接をする側にも楽しく有意義な経験、学ぶ機会となった。
僕は、30分の面接時、凄くリラックスして話すことができ、自分でも驚いている。面接終了後に、その充実感から、すぐに、奥さんに電話した事を思い出す。天気が良い日で、神保町から東京駅まで、うれしさと開放された気分で、歩いて帰ったのを思い出す。今、振り返るに、神が降臨して、僕ではない、誰かが話している様な錯覚を覚えるほど、流暢に英語が出てきた。下手したら、今よりも、イケていたかもしれない。実は、彼女の本でのコメントは、僕ではないか?っと思っている。そう信じたいし、そう信じている。
なぜなら、クラスメイト48人の中に、道産子の日本人は、7人いるが、面接は、3分割されていたし、確率的にも、僕だと思いたい。更に、面接では、彼女から、「今まで仕事で英語どのくらい使ってました?プレゼンした事、ありますか?」って聞かれ、「マレーシア営業時代の、15分レベルのプレゼンが一番長い発表です。当時は、ドキドキで、覚えていないが、プレゼン終了後、駐在員の上司から、何を言っているのか、伝わらなかった。もっと、英語を勉強しろよ!って冷たく言われた事が、今日の僕に繋がっている!」っと答えた記憶が鮮明に残っている。これ以外にも、ビジネスにおける、アジアとアメリカでの違い、そこでの葛藤、自分のセンスのなさを、いたってリラックスして笑いながら回答したのも覚えている。自分は、仕事に関しては、人の2倍はこなしてきたし、実践においては自信があるが、今後、アメリカ人、インド人を説得させるには、理論を身に付ける必要性を感じ、このMBAで学びたい!とも熱く語った。最後に席を立つときに、彼女は、握手をしてくれて、「今日の面接は、楽しかったわ。あなたから、刺激をもらったわ。」っと笑顔で言ってくれた。その後の、僕の面接最後のコメントは、「期待してください。TOEFL点数は、要望スコアに未達だが、入学までに、あと4ヶ月ありますから、突破する事、約束します。」っといって、本当に、言いたい事だけ、言い切って、面接部屋を後にした。TOEFLの点数は、結果的には、面白いほど、横ばいだったけどね。 えへへへ。
実は、同じ日、面接の結果報告をした際には、2人目を身ごもっていた奥さんは、「まだ、大丈夫そうよぉ~」なんて会話をして、僕は、新幹線で、のんびり故郷へと向かっていた。掛川を通過した辺りで、携帯に電話が入り、「陣痛で、いまから、入院する!」っと連絡が入った。家に着くなり、そのまま、産婦人科病院に駆け付け、21:00過ぎに、「おぎゃぁ~!」って第2子誕生。面接&次男のHappinessが2つ降臨した日でした。
実は、奥さんにも感謝している。頑張って、出産予定日を調整できるものでもないと思うが、きっと、僕のMBA面接(正直、人生掛けていた)を気遣い、その結果、ぎりぎりまで、我慢してくれていたのかなぁ~って、感謝している。僕は、3つのHappinessを手に入れた瞬間だったんだろうね。
あぁ~、あの面接が、もう14ヶ月前かぁ~。次男は、すくすく成長し、最近は、自分でも歩けるようになって、外も散歩するようになった。次男の成長ぶりに比べたら、パパは、超スローだけど、少しは、ビックになったかな?