2007年8月28日火曜日

朝潮太郎は大好きですが・・・協会が・・・


僕、朝潮(高砂親方)大好きなんだよね。もう憎めないって言うか、ガチャピンみたいだし、カワイイって存在だよね。でも、今、彼は、正念場なんだけど。

昨日は、徹夜で寮部屋の引越荷造り&大掃除をしていたので朝方まで汗ビッショリ。結構、肉体労働は、いいエクササイズよね。それにしても、ハーバードケースやら書籍やらでダンボールが本だけで6箱くらいになってた。こんなに読んだかなぁ~って思い起こしながら、結構、忘れてるなぁ~って懐かしみながら、冷静になってみると、タイトルだけは見覚えがあるが、内容は既に覚えてないから、もう、駄目だな。
そんな事で、今日は、14:00にお目覚めしたけど、やる事ナッシングですし、「そうだ!お昼のワイドショー見たら暇つぶせて、安部さんとかのこと報道してるかも・・・」ってラウンジに行ってスイッチ入れると、ほぼ、朝青龍ネタで持ちきり。高砂親方、額に汗ビッショリで会見してました。いよいよ相撲理事会として朝青龍のモンゴル帰国を容認し、高砂親方も同行するらしく、今後の全責任は、高砂親方が採られるらしいです。ちゃんちゃら茶番劇過ぎて、既に、国民は朝青龍ネタに飽きているから、是非とも、下記の特番を組んで、メディアとして、相撲協会を糾弾して欲しい。
民放各社は、もっと、もっと、アングル変えるべき!
①朝青龍明徳の恩師インタビュー
朝青龍は、高知明徳高校相撲部にて基礎を築いた。朝潮も高知室戸出身で同郷繋がりで、当時の若松部屋へ入門。当時の朝青龍は無名であったから、朝潮の自由奔放な指導方針は、ある意味、正解だったといえるかも。そこで、このタイミングで、是非とも明徳高校相撲部の監督にインタビューして欲しい。高校生であった朝青龍の当時の様子を回顧して欲しい。「本当は、気の弱い子なんです。。。」 世間の注目を明徳高校にも少しは分けてあげた方が宜しいのでは?明徳が全国的に注目を浴びるのは、星陵松井を5敬遠した時以来かな。
②朝潮同行。当然、メディアも同行。その前に・・・
高砂親方は、モンゴルに同行するらしいですよ。本当に、親方って仕事も大変だね。長期化したら、今度は、高砂親方がホームシックに懸かっちゃうよね。高砂親方は、朝青龍の帰国後の責任は、全部負う!っと断言してました。凄いこと、言っちゃいました。でも、その前に、朝青龍が巡業をサボって、モンゴルでサッカーするにあたり、「相撲協会へ腰痛全治2ヶ月診断書を発行した医師は、今!」ってなタイトルで、確実に、医師免許剥奪されているか確認ドキュメントを作成して欲しい。医師免許は、一回取得すると、なかなか剥奪されることはなく、本当にそれでいいのか?メディアは問う。ここで、舛枡要一大臣、吼える!ってシナリオ。メディアは、周辺に面白いネタ一杯あるのに、同じことばかり報道してては駄目だよ。。。
③なぜ相撲協会は鬼になれないのか?と糾弾する
これが、本題。夕刊フジなんかは、K-1谷川Pが既に接触してるだのゴシップ流してますが、なぜ相撲協会は朝青龍をクビにできないのか、その本当の理由を問うて欲しい。所謂、トヨタウェイー方法です(なぜを5回問う)。正直、朝青龍は、既に、不要な力士であるにも拘らず、なぜ、あそこまで可愛がるのか?理由は、鉄砲だと思うわけです。あまり、朝青龍に鬼になりすぎると、暴露本ってのが怖いのです。世間は、朝青龍がテレビに出て謝罪しないことに注目してるけど、実は、この裏の駆け引き最中なので、メディアに出てこれない訳です。そこを何故、突かない!
④国技からの除外運動。だれが国技と決めたの?
相撲の歴史は、1300年前にさかのぼるらしく、古事記とかにも記載されてるらしいね。板垣退助時代の1909年に、両国国技館完成した際に、命名するに当たり、国技館って付けた事から、相撲=国技になったらしいね。でも、一説には、厳密に言えば、文部科学省が相撲を国技と認めていない為、国技ではないとも言われるって話も。そこで、どこかの民放記者は、全国放送インタビューのLiveで、次の様に北の海理事長(高砂広報部長には酷な質問だから)に問うて欲しい。 「他の現役力士が、正々堂々と八百長なしに頑固勝負している一方(嫌らしいねぇ)、先の不倫テープ露呈事件、今回の朝青龍対処は、国技として、国技として世界に情報を発信するに当たり、余りにもお粗末であり、相撲を国技から外すべきではないでしょうか?ある意味、日本国民も迷惑被ってます。」


最後に、いい機会ですので、僕達は、下記の事実を忘れてはなりません。鉄砲(八百長)に関する事実です。1980年頃より、週間ポストが元十両の八百長告発手記を初めて公開。その後も元力士や元角界関係者による告発シリーズを約20年にわたり掲載した。週間ポストは、えらく頑張ってる。1996年には、大鳴戸親方とその後援会にまつわる告発手記をディスクロジャー。八百長問題、年寄株問題、、うひょ~暴力団との関り、毎度の乱れた女性関係等を暴露。日本相撲協会は、当然の様に、毎度の様に、告訴した。更に追い討ちを掛けたのは、大鳴戸親方が、『八百長―相撲協会一刀両断』てな本まで出版し、ガブリ四つの攻防。が、しかし、この著書の発売直前に、告発者の大鳴戸親方と後援会副会長の2名は、同日・同じ病院・同じ病気を理由で急死した。1996年の出来事ですよ!毒盛り?9年前の出来事ですよ!事件性も疑われたが、結局は病死ということで処理された。これって、ダイアナ妃の交通事故よりも、また、1973年に韓国金大中が、東京ホテルより拉致されて、5日後に韓国の自宅前で発見された事件以上に、闇である。忘れてはなりません。


PS:
朝潮の記憶に残っている名勝負(勝手に555認定)としては、1983年1月場所の千秋楽の大一番。"大ちゃん"ニックネームで人気上昇中の当時、関脇・朝潮が14勝1敗で、大関昇格を掛けて挑んだ優勝決定戦。相手は、"ペコちゃん"ニックネームで大関・琴風。僕は、ただ、「行けぇ~!そこだぁ!」ってな祖母の声がやたらに大きかったことの方が鮮明だが、朝潮が立会いの間合いでタイミングが合わない。2度も"待った"をする訳よ。もう、当然、額には汗ビッショリ。結果、優勝を逃しました。思うに、どう考えても、朝潮太郎は、いい人っぽいよね。両者は、高砂親方(朝潮)、尾車親方(琴風)として後輩の指導に、汗ビッショリです。