2007年8月17日金曜日

夏休み自由研究 (555家系)


中国改革開放政策の指導者でもあった鄧小平が亡くなったのが、1997年(92歳)。皮肉な事に、香港の中国返還の半年前であった。当時、鄧小平の指導者として、何に一番驚いたかというと、文化大革命による失脚でもなく、第1次天安門事件後の2度目の失脚でもなく、あの毛沢東と対極にいながらにして中国共産党最高指導者までの地位にたどり着いたことでもなく、1989年の第2次天安門事件で学生に武力弾圧を踏み切った事でもなく、個人的には、彼が16歳であった時に、フランスへ留学しているっという事だった。その頃の日本は、第一次世界大戦勝利にも係らず、米騒動で国内大荒れの頃だっただろうか。僕にしてみたら、1986年に初めて、親の資金援助の下、イギリスの空気を吸う機会を得たが、それだけで感動できたし、それが、66年も前に、世界が戦争で混乱している時に、ヨーロッパへ行く事とは、どういうことか、どれだけ凄い事だろうかっと、勝手にその偉大さを痛感していた。
世間の学生は、夏休み真っ只中。よって、セミがせわしく鳴くこの季節といったら、やっぱし、夏休みの自由研究に尽きると思います。そんなカンダで、始まります。「夏休み自由研究-555御先祖さんを訪問(ぶらり一人旅)」ってのを企画しました。実は、中学1年生の時に、その自由研究のテーマとして、「555家系図」をさかのぼった事があります。当時は、インターネットとかないですから、生き証人をツテに、聞き込み調査をして、難しい家系図書籍を読んだ人から、その内容を聞いたり、また、祖父母から話を聞いて、それを纏めました。その時の感想は、「なんか、御立派な御先祖様がいる様だ。難しい名前で、何をやった人かも難しくて分からないけど、そんな先輩と身近である事は、誇らしいなぁ~」って13歳の時に、率直に感じた事でした。

時代は変わり、今はネット時代。2時間もGoogle検索すると、大抵の満足できる情報にたどり着くことできましたので、それを今回のブログは、纏めたいと思います。10年後の息子達の夏休み研究を先取りして、Good Papaする為に、纏めておいてあげようと思います。



---- 総括まとめ ----
いきなり総括かよぉ~って思う人いますが、細かいこと書いたら、本当に難しい内容ですよ。なので、細かい内容は、末尾&リンクにて割愛します。555家において、僕は、18代目になります。江戸幕府時代の徳川家が15代ですので、18代というと結構、さかのぼると長い話です。直系18代っといったら、それは、神聖な事ですが、長い歴史の中で、枝分かれを繰り返し、555は、直系ではありませんが、各代を並列で並べた時に、同じ苗字を名乗る枝分かれ血族として、18代目にあたります。素を辿って行くと、400年前には、ある1人にたどり着くという、壮大な歴史ロマン感じるって事です。また、そんな歴史書が残っていたり、それを研究して後世に残そうとしている人がいること事体、ロマンあります。

御先祖様の中には、学問を積まれた方、産業界で活躍された方、文学界で名をはせた方が、同じ苗字で、しかも、その血を1/100(いや1/100,000,000)でも薄まった状態でも、僕の中に流れていると考えるだけで、何か、御先祖さんに誇りを感じます。僕は、自分の成人式の時に、祖父が祖母との結婚式の時に着用した袴をまとい、式に参列し自分の成人を祝った。その袴には、家紋が刻まれていたが、今になって、その家紋に更なる誇りを感じる。御先祖さんの中には、1900年代初頭に大陸にビジネス訪問した人、1920年代にイギリス、パリ&ベルリンに留学した人が居る事を誇りに思います。彼らは、そこで、何を見たのかなぁ~って、天国に行ったら、会話したいとも思います。

誇らしい先輩が、同族から出ている事を誇りに思いますが、これは、自慢してはいけないんだと思います。彼らもそれを望まないだろうし、それを自慢したところで失うものの方が、大きいでしょう。ただ、僕にとって、彼らの功績は、自信を与えてくれるものであり、この御時世が変わった今、血筋は大きな意味を持ちませんし、また、その七光りを生かしきれていない今の自分を振り返った時に、頑張らんといかん!っと強く自分にコミットする事だけです。頑張らんといかんとですたい!

今回の自由研究で知った事は、自分が土壇場ピンチに陥った時に、胸に手をあてて、目を閉じたときに、 「今まで日本一の練習(訓練)をしてきた。それを自信に!僕は、勝たせてくれる何かを持っている。頼む助けてくれ!」っと念じる自分の背中を、スッと優しく押してくれる、いわば、お守りみたいなものにしていきたいと考えています。