2007年8月2日木曜日

ヤバい経済学2/3 校内暴力衰退を問う


トヨタウェイでは、Why Why Why Why Why らしいので、それを習慣化させようと、「やばい経済学」をヒントに、マクロ的に分析をしてみたいと思います。習慣化する為の練習です。一休さんを悩ませる、“どちて坊や”にでもなってみます。今回トライする分析対象は、 「なぜ、校内暴力は、現代日本の社会問題から外れたか?」をブログしたいと思います。
アメリカが、80年代をピークに犯罪王国となっていた頃、日本も相当荒れている分野がありました。それは、学校でした。80年代の日本ドラマ・漫画の代表作と言えば、積み木くずし、ビーバップハイスクール、湘南爆走族、イッソップことスクールウォーズ。巷には、暴走族が集会をし、元旦は、大フィーバー。学校はって言えば、シンナーガンガンで、ガラスは割られ、先生は殴られ、当然、髪型はリーゼント。ガン飛ばしてんじゃねぇ造の世界。
僕は、1980年代の後半は、中学生をしており、生徒会長って立場で、ちょこっと、革命を起こそうと企画してました。掲げたマニフェストは、下手な自民党よりも格好良く、“校則改正するぞぉ!”当時は、男の子=丸刈り、女の子=オンザ眉毛とかの規則があり、小泉さん並の“文部省をぶっ潰す!”勢い(かなりビビッてたけど)で、会長に立候補し、当然の様に、当選しました。天狗に聞こえますが、だって、対抗馬のマニフェストは、「あいさつ運動」「花いっぱい運動」とかだから、選挙する前から決着してた感あったし、企画の勝利だと思っています。
当時、校長先生と相談すると、校長は、「うぅ~、いいねぇ。そうやって現実に疑問を感じ、変えていこう!って考える事はいい事だぁ~」って表面的には言うものの、次のコメントは、「アメリカが、自由の国とするならば、そのアメリカでは、犯罪の低年齢化が進み、学校が荒れている。自由を謳歌した結果、学校にイアリングしてきた女学生が、それを引っ張られ、耳がチギレルだとか、高い時計をしてきた男学生が、手首を切られ、時計を盗まれるだとか、自由をどう解釈するか?」って否定的。当時、「やばい経済学」を読んでいたら、僕は、校長に対し、「自由を定義し、皆に浸透させる事は重要だ。しかし、あと5年もしたら、中絶容認法により貧困層の子供数が低下し、アメリカの問題は違った方向へ向かいますよ!だから、日本も、いち早く、若者に自由を浸透させ、一緒に、文部省と戦いましょう、校長!」って言えたけど、当時は、 「はぁ~、怖いですねぇ~」っで終わってた。
では、当時のヤンキーこと、不良さんに対しては、かなり丁重に、言葉を選び、「あれぇ~、髪の毛、茶髪にしたの?格好良いねぇ~」なんて、生徒会長として恥ずかしいコメントをしてましたが、彼らからは、「茶髪じゃねぇ~よ。ゴールドだよ!そんな事より、早く、改正しろよ!」って、至ってありがちな、生徒会長がイジメの対象となる危機にさらせれてました。
そんなカンダで、トヨタウェイに沿って、「なぜ、校内暴力は、減ったか?」っを分析します。 555的分析では、90年代半ば(当ブログでは、95年っと設定)には、田舎含め、ヤンキーは消滅し、校内暴力問題は、高中小学校において問題視されないほど低下したと分析している。 その後、時代は、酒鬼薔薇事件の心の闇問題へとシフトしました。
Why 1
そもそも、なぜ、暴力を手段としたのか?
仮説1
日本は、バブル絶頂に向けて、80年は経済黄金期。故に、少年達は、明るい未来を抱いていたはず。それなのに、何らかの理由(親の愛情不足、偏差値教育、メディアの影響、任天堂ゲーム普及等)から未来を感じる事のできない若者は、その無力感から脱出する為に、暴力という手段に訴えた。それには、暴力を美化(許容)する文化があったと言える。美化っと言ったら大げさだが、封建的な日本社会は、強い権力のある男性が格好良いとみなす風習があったのではないか?そんな事を女性に言ったら、相当、キレると思うが、実際に、戦後の歴史的にも、血のメーデーで労働者は階級と戦い、安保闘争で学生はバリケードを作り組織と戦った。いわば、戦いの歴史であったともいえる。そうなると、馬鹿な知能的に取り得のない男性は、暴力を手段とし、また、正義感の強い男性は、女性に対し「俺がやる!」っと前線に立つ。その勇士を見て、女性も、惚れた。(マジか?)。でも、大方、合ってる処もあるかと思う。それが、低年齢化し、高校生、中学生が、組織と戦うのは、決して、不思議な事ではない。しかし・・・・
Why2
なぜ、闘争の手段として、暴力がなくなったか?

仮説2
世界を見た時に、既に、インドではガンジーが、アメリカでは、マーティン・ルーサー・キングJrが、非暴力を唱えて、組織と戦っていた。それは、美しい。ガンジーがノーベル平和賞を固辞していた頃、日本は、メーデー闘争。キングJrがワシントンで演説している頃、日本は、東大紛争真っ只中。まだ、日本には、非暴力の価値感が浸透していなかった。キングJrが凶弾に倒れてから日本が校内暴力ピークを迎えるまでに20年が経過している為、日本にも非暴力の価値感が浸透したと信じたいが、その可能性は、悲しい事に至って低いと感じる。僕は、日本社会における女性の台頭が挙げられると考える。女性が、意見を主張するようになったのである。男性としては、女性に愛されたい!その女性の美に対する価値感が変わった時、男性は、いままで通り暴力一辺倒では、モテナイ、イケテナイ、結婚できない。3高(学歴、身長、年収)じゃないと、全然だめよぉ~ってなると、いくら学校教育社会に不満があろうと、リーゼントでガンガンでも、相手にされない厳しい環境となる。校内暴力を仕切っていたボス格リーダーにとっては、マンモスが氷河期を迎える時と同じくらいのピンチの状態である。しかし・・・・
Why3
なぜ、女性が台頭してきたか?

仮説3
1970年代には、女性の社会進出を応援する法律が日本でも制定されて、以前に比べれば、女性は社会で活躍できるようにはなってきた。収入も得るようになり、少しずつ、男性中心の家長制度が、崩壊してくる事になる。僕の母親も、働いていた。これは、男性社会にとって、大きな変化である。しかし、校内暴力の低下と結びつけた時、女性の社会進出は、いたって、ピント来ない。重要なのは、若い女性が、何に対して、格好良いか、惚れるかが、若い男性に取って、重要で関心ある項目となる。僕が考える女性台頭(美意識変革)のエポックメイキング的な出来事は、1991年-バブル末期に登場した、ジュリアナ東京!!!!!
女性が、お立ち台に立ち、男を見下す。男は、女性を見上げる。「ねぇ、彼女。この後、デートしない?」って言っても、「年収は?それより、服のセンス、ださぁい!」って、ワンレン+ボディコンお姉ぇぇに断られる。ジュリアナ文化は、91年~94年と続いて終焉する。それは、六本木ベルファーレへと受け継がれ、95年を女性の美意識改革最盛期と仮定すると、それと同時期に、校内暴力問題も新聞ネタから消えることなる。当時、僕は、ジュリアナ誕生期~終焉時までの全く同じ期間を、高校生として過ごしている。僕が、高校一年生の時は、学生服は、ボンタンに短ラン。当然、僕は、マニュアル通りにボンタン、超短ラン。それが、高校3年生になった時、新入生の高校1年生は、誰もボンタンを履いていない。石田壱成なみのお洒落な髪型、石田壱成並みのフィットしたズボン。高校3年生の僕は、時代は、変わったと感じた時、ジュリアナ東京は、終焉している。ジュリアナ文化の台頭は、女性の美意識を変えたばかりか、それにより、男性の美意識も強制的に変えさせられた。しかし・・・・
Why4
なぜ、ジュリアナが登場したか?
仮説4
ジャリアナは、誰が求めたのか?求めた人がいて、そこに需要があったから、ビジネスとして成り立った訳で、誰が求めたのか?僕が思うのは、あの文化は、女性による暴力を表現しているっと思っている。戦時中に、主婦&女学生中心に、竹やり練習をさせられた事が発端ではなく、女性が持つ性的魅力を武器に、Crazyになり、社会通念をぶっ壊すには、暴力よりも、扇子を振り回すことで注目を浴び、その注目を基礎に、パワーを持つことを覚えたのであろう。その需要を見つけ、掘り出し、形としたのは、誰か?そう、皆が知る、当時、日商岩井を辞め、現在、非常に苦労されているコムスン社長の折口雅博氏なのである。彼の先見性、マケッティング能力、そのセンス(扇子?くだらん!)が、女性をターゲットにしたビジネスを確立し、今日の映画館レディースデー、ホテルランチのレディース特別価格などの女性を対象とした多くの企業が取り組むプロモーションへとつながる発端にさせたのである。ある意味、歴史の教科書に載っても可笑しくない人です、折口さんは。でも、中学、高校では、昭和史、平成史は、3学期時間切れで、誰も教えませんが・・・。
Why5
なぜ、折口さんは、80年代後半にジュリアナ企画を考え付いたか?
仮説5
ビートたけしが、コマネチギャグを連呼していたのが、1980年代初め。それと同じタイミングで、石原真理子が、”ふぞろいな林檎たち”にてヒットを飛ばす。その後、F1ブーム、東京モーターショーの勢いに乗って、ハイレグがブームとなり、水着メーカー各社も新商品を市場に投入する。もう折口さんは、そんな事、把握していたし、その後の展開を読めていた。要するに、校内暴力を低減させたもととなる大元は、天才たけしのコマネチって事になる。勉強になるね。さらには、コマネチ(白い妖精)が、モントリオールで史上初の10点満点(段違い平行棒&平均台)したのが、1976年。ヤバい経済学では、20年をひとつの循環期と仮置きした時に、白い妖精誕生から、まさに20年後に、ジュリアナ東京は全盛期にも係らず、幕を閉じる。さらには、1976年には、先見性豊富で野心的な折口氏は、思春期真っ只中の高校生。絶対に、モントリオールオリンピックは、彼に、影響を与えているはず。まさに、まさに、これが、因果関係。(絶対に、Freakだぁ)


結論:
さて、校内暴力を低減させたのは、教育熱心な教師でもなく、センター長として指揮をとった文部省でもなく、バブル経済という好景気でもなく(なぜなら、ジュリアナ爆発はバブル崩壊後)、商業的に大失敗に終わったカナダ・モントリオールのコマネチに端を帰し、タケシのギャグからヒントを得た折口さんのジュリアナ企画を頂点に、決定的となったのである。モントリオールでは、64年の東京オリンピック以来の“東洋の魔女”による女子バレー金メダルも獲得している。要するに、Key Person である折口氏にとってみたら、コマネチ+2代目東洋魔女達を十分なヒントに、偉業達成への道しるべを創造することは、たやすい事である。
だから、この事から、学べる事として、その校内暴力が、現在では、イジメ&小学高の崩壊へと低年齢化し、心理的要素を多く含む問題へと変化しているが、いくら、文部省がお金を費やしても、親が子供を可愛がったとしても、担任の先生が悩んでもそれを解決する手段にはならないと言う事です。核心を突こうと考えて起こすアクションも評価されますが、実は、全く関係の無いことが、その問題を解く鍵と成りうるのです。だから、ビジネスの世界でも、マーケティング担当者が、どうすれば売れるか?社員を教育するか?コマーシャルに芸能人を使うか?っと熟考したところで、爆発的ヒットは生まれず、エポックメイキング(画期的)な商品販売は、実は、どうでもいい事が、影響力を持つことが考えられますね。
例えば、仮説だが、社会保険庁が年金管理をミスったことが、20年後には、民間保険会社が国から年金ビジネスを奪い取り、全く新しい形で、運営されているかもしれない。それが、トヨタとかが総合的に、自賠責保険含め、展開しているかもしれない。そうなると仮定したときに、下手な営業マンは、前期比5%伸張させる事にムキになっているが、エポック思考の才人は、早くも、20年後に花咲く企画を仕込んでいるかもしれないって事です。GEが、既に、電気会社ではなく、金融会社であるように、20年後のトヨタが保険ビジネスを主力にしていても、不思議ではない。
全然、違った角度から、分析してみると、違ったものが見えてくるかもしれませんね。それが、アンテナを高く!って格言の意味することかもしれませんね。ゆとりがないと、そんな事、考えてる暇ないですね。だって、このブログ書くの、本当にパワー使いましたもん!疲れました。ふぇ~。。。


PS:
20年って期間は、マクロ経済学の中でも、クズネッツの波(循環期)って言って、景気の波の事を意味します。自然と、20年経過すると、古くなった住宅とかの買換需要等で、景気が回復するってクズネッツっていう学者が発見した期間です。中絶容認法の20年後に、アメリカ犯罪率が低下してように、遠い昔に、理由が起因する可能性がある訳ですね。
ジュリアナ東京誕生から16年経過した今、折口社長のコムスンが、介護ビジネスでドジっちゃった事により、当時、ジュリアナで踊っていた女性が、今は、介護の現場で、折口さんによって酷使され、校内暴力で悩んだ校長先生が、ジュリアナによってその暴力から開放されましたが、今、介護を必要とするこの時に、なんで、折口さんミスちゃったの?って彼を責める。歴史は、因果関係の塊ですね。(かなり強引ですが・・・) しかし、しかし、才人は、20年後をターゲットに、今まさに、この時に、新しい企画を仕込み始めてるかもしれませんね。