2007年8月7日火曜日

弟の相談事


僕って、中学生の時に、ラジオにハマッてまして、実家のマイルームから、日曜日の深夜なんかに、ラジオアンテナ伸ばし、日本各局&大陸キー局(中国、韓国)なんかの番組を聴くことに情熱を燃やしていた。なんで日曜日深夜かって言うと、日本キー局は、一斉に放送を終了するから雑音が消える訳です。一番驚いたのは、ある時、北京放送をジャックできた為、その番組の内容(中国語だから判らんが、情熱だけ)を葉書で送ったところ、北京放送からは、毎年、3年間ぐらい、中国正月になると、宅配便が届き、真っ赤なカレンダーと真っ赤な獅子舞人形みたいなのを贈ってくれた。また、当時は、分からなかったが、朝鮮放送もジャックし、それが、韓国か北朝鮮かは知らないが、あの勢いからすると北朝鮮ポイけど、赤い葉書に、ハングル文字の受信証明書も入手できた。本当に、夢を感じたね。
一番ショッキングで悲しい事件は、そうやって集めた受信記録葉書(各ラジオ局がリスナーに受信証明書を発行)を集めていたら、灯台元暗しで、地元のSBSラジオ局から受信証明書を貰っていない事が発覚し、SBSへ葉書投函したところ、悲しい事に、「返信用の切手を同封してください!」って、丁寧にも、封筒レターを送ってきてくれた。受信証明書だけが欲しいわけだから、封筒を送る暇あったら、葉書証明書を送れるはず!っと悲しさの余り、怒り爆発した555は、中学1年生にして、SBS本社-お客様相談室に電話しました。本当に、頭にきていたので、今、思い返せば反省すべきコメント多いが、究極には、対応してくれた女性に対し、「あんたじゃぁ、話にならない。部長を出してくれ!他局がやれる事が、なぜ、地元のSBSリスナーにはできない!早く、変わってくれ!」っと豪語してしまった。当時から、組織と戦っていたわけで、余りにも早熟である為、今、30過ぎると、そんな気力も失せちゃいましたね。
さて、そんなラジオ好きの僕にとって、一番のお気に入り番組は、毎朝9:30から始まる「ラジオ人生相談」ってな15分番組が、たまらなく面白かった。祖父がラジオを聴いていたので、小学低学年から、大人の人生相談は、非常に刺激的で、夏休みは、右耳でテレビの高校野球中継を聞いて、左耳でラジオ人生相談を聞いていた。大学生の夏休みなんかで、ドライブするときは、友達が、なんて言おうが、「9:30は、1404MHにあわすべし!」って、みんなで、遺産相続、夫の不倫、自分の浮気、嫁姑問題なんか聞いて、注目は、弁護士&コメンテイターが、そんな悲惨な状況にいる当事者になんてアドバイスするのかが、大変、興味深かった。時には、あまりにも相談者が、幼稚である為、司会者から怒られたりしちゃって、子供ながらに、「あぁ~、悩んで電話してるのに、それで、怒られちゃったら、可哀相だなぁ~」って同情してました。今で言うところの、みのさんの昼番組みたいな内容だよね。
毎度の事、前置きが長いのですが、今日のテーマは「の悩み事」です。その弟(親友)とは、MBAスクールのクラスメイトで、ミャンマーから来ている僕よりも5歳ほど年下のMMM君です。MMM君は、アメリカの大学を卒業しており、英語はバリバリ堪能。実の父親は、ミャンマーで貿易商を経営している為、かなりのお金持ちで、軍事政権下のもと、自給農業と仏教国において、彼の金銭感覚は、度肝を抜かれるほどクレイジーです。以前、彼から、「555は、豪遊した事ある?1週間で、最大、いくら浪費した?」って聞かれた事があって、「えっ?大学時代かなぁ?競馬、麻雀、競馬とかやって、どうだろう、150,000円くらいか?」って回答したところ、彼の回答は、「そんなの遊び方によっては、1日だよ。僕は、900,000円かなぁ?全部、飲み代に消えて、友達みんな呼んで、ミャンマーの芸能人をコンパニオンに・・・・」。その筈である。彼と一番初めに新橋に飲みに行った時に、日本人として、彼らは、貧乏だろうから、なるべく安い“つぼ八”あたりを僕が推薦して乾杯したことがありました。2人で、10,000円くらいだったと思いますが、一番初めの飲みにおいて、年齢が555の方が年寄りにも係らず、「いいよ、ここは、俺が払う!」なんて言うので、おごって貰いました。えへへへ。
正直、彼とは、クラスメイトの中でも、一番長く時間を費やしましたし、いい奴ですし、すべてのクラスが終わった日に、クラスメイト連中と、色紙にお互いにコメントを残し合う儀式をした際に、僕は、彼の色紙に、「Don't drink too much! Don't eat too much! Don't smoke too much! Do exercise for your health! Do love your fiancee! Do you think my advises too much? That's fine because I am and will be your big brother forever!!!」ってコメントしている。彼は、1人っ子ですし、僕は、弟がいませんので、555の弟として認定した事になります。その彼が、この1年通して、一貫して僕に相談してきた事があります。とても、重い内容で、すぐには、回答がでない相談事です。皆さんならば、どのように、アドバイスできますか?
弟(親友)の相談事
ミャンマーは、軍事政権のもと、経済活動がヅタヅタ。アウンサンスーチーは、革命の師として国民が支持しているが、いまや、軟禁状態で、その威力は軍事政権管理下におかれパワーはない。参議院選挙?街頭演説なんかしたもんなら、2分で、ポリス来るよ。どんなにヅタヅタかと言うと、首都ヤンゴンにおいても、21:00を過ぎると電力供給ストップ。その為、富裕層家庭には、発電機必須。農業国として、米、豆生産は盛んだが、品質の良い米は輸出に回され、ヤンゴンの市場で流通している米は、真っ黒い米ばかり。安いけど、日本米を知ってしまった今、あれは、食えない!インターネットは、国にひとつしかないプロバイダーを介し可能だが、Yahooは見られず、軍により検閲されている。ポルノはもっての外。なんどか、国民は、クーデターを試みるが、規模が小さく、また、農民の多くは、革命失敗によるリスクよりも、現状での不幸の方が、Betterと考え、組織とも戦わないし、実質、資金的&教養的にも、戦う手段を知らない。経済封鎖等による外国圧力により、軍政府を追い込む事できるが、ミャンマーの天然資源(ガス、宝石)を軍管理であり、それを輸出する事で、国家財政が、今規模ならば、成立してしまう。要するに、10年後、20年後に希望が持てない!アメリカで勉強し、日本でMBA取得して、その挙句が、自由のない国で、経済活動自体も束縛され、何を生きがいに生きていけば良いのか?ひとつにシンガポールやアメリカで職を探し、そこに移住する事も選択肢としてあるが、それでも、祖国が好きでたまらない。どうにか祖国を変えたい!どうしたら変えられるか?
555の駄目回答
まず、そんな環境下において、発電機があり、プラズマテレビがあり、ヤマハのオーディオセットがあり、ましてや肥満気味、中古と言えども、500万円するパジェロを乗り回し、週に90万円豪遊できる事を誰かに感謝すべき。きっと、ブッタ様。Brotherが、ラッキーにも、恵まれた環境に生まれた事をブッタに謝すべき。
次に、アメリカに13歳にも係らず送ってくれた父、そして23歳までアメリカ生活を支えてくれた両親、そして今、日本に迎え入れてくれた日本政府、いや、奨学金負担主である、555含めた日本国民に感謝の意を表現すべき。きっと、2礼2拍手1礼。
さて、次に、何をするか?Brotherは、選ばれし戦士として、果たす役割を背負ってしまった。さて、何する?困った問題だなぁ~。Brotherが、ビジネスにおいてミャンマーにおいて革命的成功を収め、そのパワーを使って、政府と金銭絡めた交渉(つまり、税金負担率上げる代わりに、選挙権の要求とか)。いや、国内で活動するには、限界がある。この際、亡命し、アメリカにてミャンマー出身富豪層ネットワークを構築し、まさに、ユダヤが念願のイスラエルを建国したように、外部から$$$をベースに、アメリカ政府を動かす。いや、壮大すぎるなぁ。北朝鮮が崩壊するのを待つ。そしたら、次の争点は、ミャンマーへと世界の視点が向けられる。その時に備え、Brotherは、国外ネットワークを確保する。もちろん、555は、日本支部長。まぁ、5年後に金さんがヘリコプターで逃亡したとしても、次の国際問題は、インドパキスタン問題へと進むんだろうなぁ~。一層の事、イラクみたいに、米軍に侵攻して欲しい?(彼曰く、それで、変わるなら、Yes, Sure!) でも、米軍もミャンマーに侵攻してメリットないから、きっと、パキスタンあたりだろうなぁ~、やったとしても。いずれにしても、ミャンマー跳び越しちゃうね。国連で働くのは、どう?生物学学士→経営学修士→国際政治学博士とかって進んで、国連職員になるのはどう?(彼の学士は、ゴマの輸出業をしている手前、バイオテクノロジー専攻。その為、居酒屋の枝豆、赤飯の黒ゴマっとその品質に関しては、30分語る)。まぁ、長いシナリオだなぁ~。ごめん!わからない!
さて、皆さんは、僕の回答に何点つけますか?
彼とは、この1年、忘れた頃に、いつもこの問題を議論してきました。未だに、結論は出ません。上記ブログには、明るい表現を敢えて使っていますが、この議題の時は、お互い真剣に解決策を見つけようとしましたが、現時点、未達です。
要するに、地球に生活する者として、一番悲しい事は、その存在を忘れられる、その存在を見捨てられることです。1990年初めに、アフリカのルワンダでは、民族紛争により大量虐殺という悲しい事件が起きました。100日間で、国民の10人に1人が、もともと同じ民族であったであろう同士によって殺されました。マイノリティー民族は、他国へ亡命したかったですが、国連は、それを無視しました。日本は、その国連の常任理事国に今、立候補しようと試みています。
同じ頃、石油利権の絡むソマリアに対し、国連軍は介入する事となります。日本はPKOの派遣で大激論していました。現地国民にしてみたら、生死を分ける大問題ですが、日本では、PKOとPKFの定義に議論が集中し、結果、何をしたのかも曖昧です。ただ、記憶に残っているのは、社会党の牛歩戦術だけです。アメリカ&国連による介入失敗例として、メディアは、責め立てます。そんな事よりも、最大に悲しいことは、未だに、ソマリア問題は未解決であるという事実すら、僕達は知ろうとしません。でも、それを知ったからといって、何ができるの?って問いには、答えられませんが・・・。
1989年に天安門でおきた民主化デモ学生に対する共産党政府の銃撃射殺シーンは、世界を駆け巡った。私が、中学3年生の夏前の時期だったと記憶している。今回のブログ掲載に使用した一枚の写真は、天安門を横断する戦車に対し、1人の勇敢な学生が立ちはだかり、結果、数分間の沈黙の後、彼は、友人に引きずられるようにして、戦車の前から退くこととなります。世界が注目した沈黙のシーンでした。軍は撃つか?いや、世界を敵にできないから、撃てない!結果、沈黙だけが流れ、学生の退場という結末で、その事態は収まることになります。彼は、世界に対し、メッセージを送っていたのです。これほど、強いメッセージはないです。中には、天安門で焼身自殺を試みた学生もいましたが、僕達は、彼らをどのように評価したらいいのでしょうか?14歳当時、僕は、このシーンに関し、多くの大人に意見を求めたのを覚えています。僕の意見は、「彼らの死は、勇敢だ。たった一人の死は、中国変革には、さほど影響力を持たないが、彼らは、世界を味方につけながら死んでいった。勇敢であり、偉大だ。」っと最大限の賞賛をしたところ、ある大人は、「生きることが重要だ。冷静になった時に、時代は、民主化の方向へ向かうわけで、遅かれ早かれ、彼は、生き続けることで、その自由を横臥できるが、あそこでの死は、悲しい事に、大勢を変えない」「率直に可哀相だよ。中国共産党を責めるしかないよ」とかが大半を占めていたかと記憶している。要するに、個人の死というものへの賞賛が少なかったのではと感じる。正直、僕には、あんな勇敢な行動ができないから、天安門で亡くなった方には、最大限の賞賛を与えたい。
一人一人の力を結集した時、それは、大きなパワーを持つことは、誰もが知っている。では、結集する為に、誰が、第一歩を踏み出すか?ってことが重要となる。至って、歴史の局面では、組織している時間がないものである。そこで、2003年の米軍侵攻における対テロの聖戦において、1人の日本人青年(九州人)が、理由は分からないが、外務省が避難勧告を出すなか、バクダット入りを試み、案の定、アルカイダの人質となる。結果、よど号事件の時は、「人命は地球よりも尊い」とした日本政府価値感も30年経過することで、「テロに屈することはできない。自衛隊は撤退しない!」っと言うことになる。日本人青年は、後日、遺体で発見され、葬儀中の自宅には、日本中から抗議電話が殺到したそうだ。「馬鹿野郎!勝手に死ね!」だとか、遺族にとっては、ダブルで悲しい出来事だったでしょう。仮に、その日本人青年が、たった1人の力であるが、「戦争反対!武力による軍事解決反対!イラクには核はない!見つけてから侵攻せよ!」とかを訴えたかったとした場合、僕達は、彼に最大限の賞賛を与えるべきだろうね。そんな微小な個人メッセージを、僕は大切にしたいと思います。
さて、ミャンマーの問題に戻ったときに、ミャンマーは、国連に属していますが、誰も、人権が侵害されている!民意が反映されていない!っと、ミャンマーの為に立ち上がる人がいないのが現状です。Brotherは、僕に、必死に訴えますが、申し訳ないことに、壮大な問題過ぎて結論が出ないし、まずはアクションといっても、何から手を付けていいのかすら思いつきません。ただ、僕達が、たまたまラッキーな事に、幸せな境遇にいることを誰かに感謝できるだけで、必死に叫ぶミャンマー国民の声に対し、何もしてあげられないのが現実です。アウンサンスーチーが唯一の光だそうです。その光も監視・制限されていますが、もっと最悪なのが、CNN含め、世界に届くメディア情報すら、軍幹部に都合良いように操作されているそうです。不必要な情報、不都合な情報は、世界に発信されない訳です。
宮台さん、どうしたら、いいすかねぇ。マッタリ行くべきですかね?
安部さん、どうしたら、いいすかねぇ。まずは、再組閣で忙しいですか?
みんなぁ~、どうしたらいいですかね?僕達、平和ボケしちゃってます。このまま、ボケ続けた方がいいですかねぇ?知らない振りしてるのが、最善ですかねぇ?所詮、何もできませんもんねぇ~。知らぬが仏って言いますもんね。本当に、どうしたらいいのでしょうか????
PS1:
Brotherには、可愛いフィアンセがいて、賢い事に、ミャンマーの大学で日本語専攻。かなり日本語できる可愛い女の子です。彼らは、ここ1年以内に、結婚するとの事です。当然、Big Brotherとして招待状が届きますので、その時、あの「ビルマの竪琴」(竹山道雄著1947年出版、1986年没)の舞台となった地を訪問したいと考えています。ストーリーの中で、水島上等兵は、ビルマに残る決意をし日本兵戦没者を埋葬する為に僧侶になる内容です。この本は、フィクションですが、行きの飛行機の中で、人生3回目の朗読をし、彼の結婚式に備えると共に、その時、Brotherにも、ナイスな回答ができるようにしたいと思っています。
PS2:Aung San Suu Kyi(アウンサン・スーチー)とは
1945年6月19日、ビルマ・ラングーンに生まれる。1991年ノーベル平和賞受賞。イギリスからの独立を主導した父アウンサン将軍の一人娘。1947年7月(娘2歳の時)、アウンサン将軍は、ライバル派閥によって暗殺され、その後、母親1人に育てられる。アウンサン将軍は、「ビルマ建国の父」として今も敬愛を集めている。彼女は、イギリスのオックスフォード、ロンドン大学にて学び、イギリス人男性と結婚し、2人の息子の母親でもある。1988年、病気の母親看病の為、帰国するも、それと同時期に、国内は、学生デモによる反政府運動が活発となり、彼女もパゴダ前で演説という形で活動に参加する。母親の死後、軍政府は、イギリスへの出国を勧めるが、その出国は、二度と祖国に戻れないと判断したスーチーは、ビルマに残る事を決断する。1989年より自宅軟禁状態で、軍の監視下に置かれる。1999年、最愛の夫がガンで死亡するが、遺体のビルマ入国が認められず、夫との再会は未だに果たせていない。ロンドンに残っている2人の息子とは、19年間、会えずにいる。でも、祖国開放の為に、今も、ヤンゴンの自宅に監禁されながら、組織と戦っている。