2007年8月5日日曜日

母からの&母へのメッセージ


卒論真っ最中に、実母から手紙が届く。いや、手紙ではなく黒猫宅配便の中に、日経新聞(7月20日)切抜きの記事が無造作にも入っていただけだったけど。その記事はパイレーツで奮闘する桑田真澄に関するもので、「桑田39歳-毎日勉強」って内容だった。僕が、桑田を野球選手としてではなく、人間として尊敬する一人であることを知っているからか、卒論でボーっとしている僕への母からの激メッセージなのか深くは追求しないが、下手な「頑張ってね!」って言われるよりも重く、ありがたい。
確かに、このブログは、両親も見ているし、それだから敢えて、両親への感謝ってのを表現する事を控えてきた。恥ずかしさってのもあるのか、正直、あまり両親とも会話しない駄目息子なんで、今さら・・・・ってな感情もあったりして疎遠。しかし、正直、今の僕は、両親によって成立するし、感謝しているのは事実。今回のテーマは、母親の息子への思いってのを勝手に解釈して、大いに母親(両親)に感謝するブログとする。
僕と桑田の出会いは、彼がPL学園1年生の時の準決勝(池田xPL学園)に尽きる。春優勝で水野&江上を率いる池田は絶対的なその夏の優勝候補。それを清原4番&桑田完封で、7-0で大勝している。僕が熱狂的に高校野球から人生とは何か?ってのを追求し始める原点の試合だし、桑田が池田戦で最後に投げたカーブは、15歳の投げるカーブではなかった。当時、僕は、小学4年生。その試合の夜、晩御飯で、僕は、いっぱいKKコンビのすごさを語ったんじゃないかな~って想像する。あの時は、9回裏2アウトランナーなしでも、池田高校が負けるとは思っていなかったし、最後のカーブが外角に外れて見逃し三振で幕が下りたときには、小学4年の僕は、泣いた記憶があるから、印象深かった。それほど、上に一旦浮いて、落ちる桑田のカーブは鮮明に覚えている。
KKコンビ全盛期(桑田高校2年)の時、準決勝で金足農業と対戦している。我が555ファミリーは、何でかしらないけど、その時、炎天下の中、山ハイキングを家族でエンジョイしてたんだけど、8回表終わって、2-1でPL学園が負けているのをラジオで聞きながらのハイキングだった。山間部は、ラジオ電波の入りが悪いから、8回の攻防は、見晴らしの良い場所で休憩しながら、ラジオ電波を最高ジャック状態で試合経過に聞き入った。ランナー1塁の場面で、4番清原がアウトになった瞬間、ツーアウトだし、父親は、「ヤバイな!負けるかもしれないな!」って言ったのを思い出す。「いやその安堵が危険。あの逆転のPLが、ここで負ける訳がない。次の桑田が決める!」って泣きながら言ったんじゃないかな?桑田の打球は、レフトラッキーゾーンへ突き刺さり、3-2で決勝へ進む事となる。そんな息子を母親はどんな気持ちで見てたのかな?
僕は19歳で東京の大学へ進む事となるが、結構、勉強するのが好きな子供だった。なんでか知らないけど、親に言われなくても自分の部屋でよく勉強したし、そんな息子に対し、両親は、当然だけど、「勉強しなさい!」っとも言わなかったし、「頑張って!」っとも言わなかった。でも、今、思い出しても涙出そうになるけど、14歳~19歳までの5年間、夜遅くまで勉強する僕の部屋に、母親は自分が寝る前に、温かい御茶を届けてくれて、その後、彼女は寝るってのが、いつもの流れだった。夜23:00頃に届く、母親が入れてくれたお茶は、味とか何とかの問題じゃなく、ほのぼのとしていて、優しさみたいなものを感じたし、受験勉強なんかのパワーになったんじゃないかな?あれには、相当、感謝している。
ずっと昔の話だけど、高校生の頃に、御茶を届けてくれる母に、僕の部屋で、「なんで、よその家は、勉強しなさい!だとか、東大を目指しなさい!とかって言う家庭があるけど、我が家は、こうも放任主義なの?」って聞いた事があった。その時の彼女の回答は、「正直、高校がどんなところで、大学がどんなところか知らないし、東大って言えば凄いなぁ~って思うけど、早稲田だったらどうかってピント来ないし、まぁ、555が、やりたいことがあるっぽいから、それを後方支援できればそれでいいよ!」みたいな、質問の答えになっているようで、いないような回答だった。事実、僕の両親は、中学卒業と同時に、社会人の道を歩む決断をしているし、当時でも高校進学しない生徒はマイノリティーであったと言うから、共働きで相当頑張ったと思う。また、学歴社会ってのを痛烈に感じたであろうし、そんな両親が、学歴至上主義を唱えなかった事に尊敬する。親達は、中卒である事を恥ずかしいと隠したがっているけど、僕&姉は、それだからこそ、あなたたちを尊敬しているわけです。
我が家がどれほど放任主義だったかというと、例えとして、僕が生徒会長をしてた頃、同世代の男の子達は、思春期ですし、エロ本を隠れて購入し、自分達の部屋に親に見つからないように隠していた。そんな彼らも、いつしか、そのエロ本に飽きる訳で、みんな、その後始末(どこに捨てるべきか?)に困っていた。生徒会長として、絶大なる信頼を得ていた僕は、そんな困った友人達の心の救いとなるべく、エロ本を預かり、僕の部屋に保管していた。我が家は放任主義なので、僕は、隠す事もしませんでしたが、ある時、50冊越えるほどの量になってしまい、それと同時に、万引きしているのか?っと心配したであろう母親に、「なんで、こんなにいっぱいあるの?」って聞かれ、素直に事情を説明し、結局、地域の廃品回収で、母親によって縛ってもらった大量のエロ本を始末する事となる。性の解放っていいますか、微妙な年頃の子を持つ親として、叱ることなく、 「それは大変だねぇ~」みたいなトーンで、協力してくれた事に、感謝もしている。
僕は、このブログでも中学2年生でロンドン短期留学したことを、自分の中でのターニングポイントだと位置づけている。僕が、イギリスで得て持ち帰ったものは、当時、世界を興奮させたマイケルジャクソンの「BAD(悪)Tシャツ」だし、お土産に買ってきたサングラスには、「I LOVE SEX!」って書いてあったから、両親は、ズッコケタっとおもうけど・・・。実は、この企画は、母親が発想した案であり、当時、父親は、「まだ、早いんじゃないかぁ?」みたいなニュアンスだったらしいが、母親が、「ならば、私が払う!」勢いで、説得したらしい。所謂、女性が社会進出したことにより、主張しはじめる女性の原点であり、我が家にしてみたら家長制度が崩壊した瞬間だったろうと思う。母に、なぜ、イギリス企画を思いついたの?って聞いた事がある。彼女曰く、「自分が、まだ物心付かないときに、父親が、できたてホヤホヤの新幹線に乗せてくれて、家族で東京オリンピックを見に行ったのが、すごくいい経験だったし、そんな興奮を555にもさせてあげたかった・・・・」だってさぁ。なるほど、教養は最大の財産ですもんね。今、自分が親となった時、その意思、あなたの息子は引き継いでますよ!
いつ頃だったかな、放任主義教育の結果、息子は、糸の切れた凧状態となり、親のアドバイスは聞かないし、根拠のない自信家になってしまったし、実家には帰らないし駄目長男なんだけど、母親に聞いてみた。「あのさぁ~、きっと、555家に嫁いできて、嫁姑問題とかもあっただろうし、他を見渡せば同期連中は、女子高生活を満喫したであろうし、自分はといえば、製造業の歯車として苦労しただろうし、そして、今になってみたら、娘は遠いところで暮らしているし、息子はって言えば、近くにいるけど、一向に帰宅しないし、洗濯だけはしてくれ!みたいな首尾一貫してないコメントしてるし、更に極悪なのは、社会人になっているにも係らず、家にお金さえも渡さない、そんな全てを考慮して、Are you and was you Happy?」って聞いた事があった。彼女の回答は即答であったかと思う。 「幸せ!だって、娘&息子が、グングン成長していく。正直、私達の手の届かないところに行っちゃったけど、それでも、グングン成長しようと努力しているのを感じる。そんな子供達を持てたから誇りだし、幸せだし、その成長ぶりが、今の一番の楽しみ!」 だってさぁ。嬉しいコメントだね。
このブログで書くのもなんですが、かといって、今後、今までと違った方法で、親孝行がなされる事は期待しないで下さい。でも、約束できる事は、僕たち(555&姉)は、今後も、グングン行くから!あなたの子供であることに最大の誇りを持って!
最後に、英語は勉強していますか?死ぬまで、勉強だからね!日本で言うならば、渦中の森進一の「おふくろさん」と同意だと思うけど、僕が大学3年生頃に東京のオンボロアパートで遊び呆けていた時に、聞いた曲で、僕の好きな曲を贈ります。下記、曲名をクリックしてお聞きください。英語が分からんかったら、映像から判断するように!必要なことは、理解しようと試みる情熱です。では、どうぞ・・・・ A song for Mama sang by Boyz Ⅱmen


PS:桑田真澄の背中
桑田は、よく、毎日が勉強!って言うよね。新聞記事で、たまたま特集された時に発した言葉ではなく、彼は、以前から、この事を言っているよね。中田英寿が韮崎高校時代から、英語&イタリア語を勉強したように、桑田は、PL学園時代にも英語が学年上位に入るレベルって清原が言ってたね。本当に、毎日が勉強だと共感します。別に、勉強ってのは、英語だけでもないし、酒でも、競馬でも、ある意味、女遊びってのでも良いかと思います。それから何を感じて、その感性を、自分の中で、どう処理するかって過程が勉強だと考えるからです。MBA勉強して痛感するのは、戦略論や金融論ってのも勉強の一部を構成しますが、実は、全然関係のないであろう、歌舞伎を見たこと、友達と酒を飲み交わした事とかが、20年後、30年後のどうでもいい時、または、ピンチの時に、活かされるのではないかと思います。そして、そうした勉強から得た経験・教養ってのが、自分が、上に立つ身分になった時に、後輩達へのアドバイスとして活かされるんじゃないかなぁ~って思います。勉強ってなんでも良いんです。毎日生活する事で既に勉強なんです。以前、「5感を磨け!」のテーマでも書いたように、その日常の出来事から、五感を敏感にする事で、何かを吸収していく事が重要なんですよね、桑田さん?
桑田さんは、巨人軍時代の97年に、ヒジ手術から復帰し、その復帰戦で、ピッチャープレートにヒジを付け黙祷しましたよね。当時、多くのマスコミは、「あちゃ~、やりすぎ!カッコウ付け過ぎ!」って冷笑したけど、僕は、涙した派ですよ。桑田自身もリハビリ頑張っただろうし、最高医ジョーンズ博士の執刀っとベストな過程を得て、あの時を迎えたんだけど、最後には、どうする事もできない、自分では決める事ができない神(地球?重力?仏陀?そんな存在)の後押しがあって、辿り着いたカムバックであった訳で、そんな偉大な第三者に感謝の意を込めたあのポーズを僕は評価しますよ。
桑田さんは、よくマウンドで独り言をいってますよね。理解できない人は、変人・奇人・桑田らしいって冷笑しますが、僕も、自分の生活の中で、自分に対し、独り言をいうことが多いです。自分をコントロールしたいんですよね。頑張らないといけないんだけど、燃えてこない時には、「どうした?今やらないと、いつやるんだ!」って鼓舞し、逆に、訳もわからずイライラする時には、「あれれ、どうしちゃったのかな?俺らしくないぞ、冷めろ!」って我に帰って冷静を取り戻す為だよね。僕は、自分自身が最大に大好きだから、その自分に対し、的確なエールを送れるのは、自分だと思ってる。これからも、自分で自分を鼓舞し、自分で自分をクールにいられる様に、もうひとりのチビ555は、つぶやくと思います。