2007年8月3日金曜日

ヤバい経済学3/3 小学校学級崩壊に挑む


この本を紹介してくれた人に感謝します。まさか、これをテーマに3回に分けてブログするとは考えてもいませんでしたし、かといって、夢中になりすぎてますので、この辺で最終回として、このやばい経済学のテーマは終わりとします。いままで長い文章として展開してしまいましたが、数少ない読者の皆さん、絶対、全部読んでないと思うので、謝罪しませんが、もうちょっと、付き合ってください。
最終回(ブログは続くよ!)として、子を持つ親として、20年後の日本を支えるであろうポテンシャルを無限にもつ子供達の為に、現代日本が抱える問題(小学生のイジメ、学級崩壊、心の闇)をテーマに自分の考えをまとめたいと考えています。
課題:
20年後に小学校が、学級崩壊することなく、その問題を、幼稚園・保育園に、更には、幼児教育現場へとシフトさせる為に、今すべき事は何か?幼児教育まで、低年齢化させたら、きっと、平和な時代が訪れますよ。その頃には、また、新しい問題として、幼稚園現場における、お爺ちゃん&お婆ちゃんの「幼稚園児を迎えに来ることを口実に、幼稚園の敷地内で、恋愛行為は禁止!」または、「お爺ちゃん同士の幼稚園先生ファンクラブ結成は、モラル上、禁止!」って、高齢化社会を象徴する問題が発生すると思います。深刻な問題は、今度は、一気に、高年齢化するぞ、きっと。まぁ、今回は、20年後の小学校から学級崩壊問題を撲滅する事だけに注視せよ。
手段:
現在の時代を反映し、未来を予想し、キーワードとしては、益々加速するであろう、ボーダレス(国境なき)、選択の自由人類皆平等をキーワードに解決策を探ってみます。
駄目な解決策
給食費を払わない家庭の子供に対し、給食の支給を停止する。親に、給食費払わないならば、お弁当持参をおねがいします!っと、親に対し、選択肢を与える。または、怒った文部省により、義務教育の一環である団体食事を妨害する親は、憲法違反として、所得税の税率を上げる。また、本当に低所得で困っている家庭においては、小学校の放課後クラブ活動として、xxx君ち&yyyチャンちの晩御飯分として小学生による配給を部活動として着手。文部省による味&配給数をもとにした“全国小学生配給選手権大会”を開催する。
義務教育において、国の方針もさることながら、はやり、選択肢の自由を与えないわけにはいかない状況となることが予想される。その為、小学校教育は、2つのタイプに分け、親の意向を確認し、それに適した教育を実施する。親は、自分の子供に、どのような教育を提供すべきか、真剣に悩まなくてはならない。
A=早期英語、偏差値教育、しかし、守るべきルールは多い
B=道徳を中心とした和を尊しとする教育、子供の個性を尊重する   
   和を乱す者は、特別に用意された特殊学級へと自動移籍
通信簿の配列を、国語→算数→理科→社会の順ではなく、道徳→英語→国語→社会→理科へと変える。中学受験で内申書を求められる場合、最高プライオリティーの道徳が1では、他がどんなにオール5でも、駄目人間っとレッテルを貼らせる。
小学校の修学旅行をオーストラリアに日本政府が立てたキャンプ場にて1週間生活する。20年前は、なかなか日本人でも海外へ行くことは難しかった。現在は、大学生は、ガンガン、海外旅行するし、高校の修学旅行で中国ってのもよくある。20年後は、海外旅行の低年齢化が進み、一層の事、日本政府がオーストラリアに大自然キャンプ場を建設し、現地の英語教師を採用し、小学生に林間学校並みのキャンプを張らせる。現地の子供と混じってキャンプをする。そうすると、学級崩壊させるジャイアンも、コミュニケーションが取れなかったり、白人から馬鹿扱いされて悲しい思いを経験し、自分を見つめるチャンスとなると信じたい。
養護学校と一般小学校の統合。人類皆兄弟だし、人種差別は生けないし、人類みなが共存しなくては成らないことに遅かれ気付き、なぜ、別々の施設を作っているのか、20年後には、その目的が不明とある。その為、学校を統合する事により、給食、運動会、掃除等は、障害有り無しに係らず、みんなで協力して活動し、その活動振りが、通信簿の道徳課目に影響する。学級崩壊させるジャイアン、精神的イジメを繰り返す知能小学生は、なんて、自分は虚しいことをしているのかと、小学生ながらに気付くことを期待する。
以上のような改革は、直接、現在の問題回避として、文部科学省を中心に実施される事となるが、至って、効果ないものと思われる。しかし、こういった対応は、革新的だし、必要とされるし、効果の30%ほどは期待できると信じる。しかし・・・ やばい経済学的に、マクロの視点から、20年後を視野に入れたときには、これとは違ったプロセス(種蒔き)が必要となることが容易に想像される。
マクロ的視点での環境予測
今から20年もすると、性別なんて関係なくなる。それは、既に、アメリカなどでは、同姓愛者も市民権を得ているし、結婚もできる時代だからである。宗教的、倫理的に、同姓愛を認められない!って考えるのは、2007年の視点。だって、中絶・避妊が受け入れらなかった時代にしてみたら、今は、コンドームや性の解放が信じられない事に受け入れられている時代。人類皆平等って考えから、20年後には、男女雇用機会均等なんて法律は、「人間ならば雇用機会均等」って法律に改訂されているし、今以上に、フリーセックスが低年齢化していく。それは、避けられないし、禁じたところで、逆効果となるだけである。
今から種を仕込むとするならば、例えば、加護ちゃん&辻ちゃんコンビみたいなアイドルユニットを企画する。しかし、そのアイドルユニットは、実は、性障害者であるが、それは、ネットプロモーション等のマーケティング力を生かし、大黒真樹並にテレビへの露出を避け、戦略的にアイドルとして地位を確立できるような企画を作成する。そうすると多くの小学生、中学生が、将来結婚したいアイドルとして、ネオ加護&ネオ辻がランクインする事となる。プロジューサーは、このユニットの秘密をひたすら隠し、デビューから15年したくらいで、引退セレモニーの際に、カミングアウトする。
ファンは、騙されたぁ~って初めは、怒りをあらわにするが、信じた自分達も馬鹿だったよねぇ~って、余りにも多くの人が熱狂したことが逆に面白く、周りを見渡せば、同性愛者の結婚も認められているし、自分達の性体験を振り返ったときには、SEX低年齢化の背景の下、100人以上の異性とEnjoyした結果、異性との性経験にも不満と限界を感じるようになってきていることが予想される。やりたい事は、やりつくした感。
すると、刺激を求める若者は、オープンな社会風潮の元、同性愛が究極である事に目覚める。 20年後には、高齢化社会を支える日本人が不足し、労働人口として、東南アジア含め、多くの国からボーダレス環境の下、日本へ外国人労働者が流れ込み、性別、人種のボーダーがなくなる。まさに、人類皆兄弟、人類皆平等の意味を理解し始める。また、地球人口100億人を突破しそうになり、同性愛者夫婦の物理的に子孫を残せない家庭は、国籍を問わず、養子を受け入れる事となり、日本伝統の家庭そのもののコンセプトが変わる事となる。 その頃の小学生はっと言うと、純日本人国籍の子供の数は低下し、皮膚の色もバラエティーに飛んだ友達と一緒に勉強する事となる。
その頃、深刻となる小学校の問題は、性交渉の低年齢化であり、いよいよ、小学3年生から性交渉の実践教育(教科書じゃなく、実践!)を先生が真剣に教える事となる。その対応に戸惑っている間に、発育の低年齢化により、小学生高学年による妊娠、駆け落ち等が、新しい社会問題となり、小学生によるロミエ&ジュリエット心中も問題視されるようになる。いよいよ、小学生に対し、愛とは?人生とは?っと道徳以上の、哲学&倫理学が、必修科目として導入するかっが、文部省として議論のネタとなる。
やばい経済学に基づく、抜本的打開策
現代における小学校学級崩壊問題を解決する策として、貢献率30%分は文部省が担当する事となり、残りの70%は、彼らに影響力を持つ音楽・娯楽産業が先行してネオ加護&ネオ辻ユニットを結成させる必要がある。要するに、性交渉の低年齢化、ジェンダー偏見、外国人労働者を、宗教&習慣&日本的文化を盾に許容しないと抵抗する事が、根本的問題の先送りとなり、その先送りとなる事により、長い期間、被害者が存在する事となる。実は、そうした流れを促進させる事(ネオ加護&ネオ辻は、非常にブラックではあるが・・・)が、問題を早期に表面化させ、更なる加速が、問題事体をアンモナイト化させるのである。まじで?まじで?まじで?
PS1:
上記は、すべて架空の話ですが、本当に尊い生命の誕生である妊娠を宗教的にどう考えるか?って議論された20年前に比較し、2007年がこの現状であり、避妊・中絶を前提に、エイズをどう防ぐか?ってな問題へとシフトしている。あのカトリック教徒多いアメリカにおいて、コンドームを学生に配布する始末である。性別ジェンダーの差別をどう考えるか?って今考えている事は、20年後には、既定概念となる事は、予想される。
地球の抱える人口爆発問題、温暖化等による環境問題、食糧難に伴う死活問題を視野に入れた時に、人間も動物である以上、性欲、食欲、睡眠欲の更なる強欲化、低年齢化は、避けられないし、危機が迫ってきていると感じた時に、動物(人間類)は、先を急ぐ習性があると考える。その為、性交渉の低年齢化も不思議ではない。
上記の話は、あくまでも仮説に過ぎませんが、あなたが、子供の親であった時に、身体障害者を差別する事は行けません!って教育するように、同性愛者らを差別する事はできないような気がします。子供に異性を愛しなさい!って一方的に教えるその根拠が不明であるからです。さて、20年後は、どうなってるんでしょうかね?
PS2:
まぁ、なにか、このテーマは、ムードを暗くしてしまいますね。馬鹿げているとも思えますし、神の冒涜と言われても可笑しくないですし、しかし、現実的にありえそうですし・・・・。この現実的にありえそうっと思える事が恐怖ですね。「やばい経済学」は、僕にとっては、アンテナを高く、マクロ的な視野を持とう!っと解釈していますが、度を越すと、怖い話になってきそうですね。度を越して、これを続けて、それが、習慣化すると、ある時、新興宗教のように、「それが定説なんです!」って言葉を発したり、余りにも視野が広すぎて、「想定の範囲内です!」って事に繋がるかもしれませんね。アンテナの高さ、感度も、ほどほどにしておいた方が、良さそうですね。余り追求しすぎると、UnhappyなFeelingですね。
しかし、現実を受け止め、将来を予測する事は重要だと思います。それからは、逃げられませんし、直前に対処するよりも、事前準備だけは、しておきたいですね。