2007年8月4日土曜日

10年ぶりのCapital TOKYOから想うこと


いよいよMBA東京生活も残すところ1ヶ月を切ってきました。いよいよエンディングの時が迫ってきました。今日は、いろいろなテーマにてブログします。今、東京生活している訳ですが、大学卒業して10年経過し、10歳加齢して、見えてきたものをブログします。
①山の手線一周徒歩の旅(1/3)
これって、春先の話だったと思うけど、丁度、授業セメスターの間の長期休暇の時だったかと思います。寮で勉強するのも集中力に欠ける為、週末は、新橋の24時間営業ジョナサンで読書とか予習とかに励んでいた事があります。まだまだ、授業が始まるのはずっと先の話だから、なかなか、自分を追い込む事ができず、居ても経ってもいられずになり、朝3:00頃、ジョナサンを後にし、新橋から北上徒歩を始めます。理由は、有りません。フォレストガンプが、なんで、走り始めたか?って、それは、走りたくなったから・・・。そんな気持ちが少し分かる気がした。
始発の始まる2時間でどこまで北上できるか、山手線沿いを歩いていたら、始発までに、王子駅まで到達していた。これって、山の手線の1/3を制覇した事になる。その道中、西日暮里にて、大学1年生の時に、住民票を移したはいいけど、まったくそこで寝る事はなかった故郷HM市経営の学生寮を訪問した。悲しい事に、取り壊されていた。新しい不動産屋が購入したらしく、綺麗なマンションが建設中だった。市政も苦しいのかなぁ~って心配し、まぁ、たいした思い出も学生寮にないので、時代は変わった事だけ理解して、更に、北上した。
巣鴨にある母校の大学を訪問しようと巣鴨駅からの懐かしい道(友達と池袋に飲みに行くときとか、彼女を迎えに巣鴨駅まで出向いたなぁ~ってな事を思い出しながら・・・)を母校まで向かう。大学1年生の時に、本当に、ホモと思われるほど、一緒に、競馬、麻雀、パチンコっと遊んでくれた友人の住居を探すが、行方不明。当時、その友人は、老婆と同居する事で、安い家賃をゲットしていたので、その老婆も亡くなったのかなぁ~って、また、悲しくなった。 彼の家からは、大学までは、走って15秒なので、タバコ吸いながら、1分掛けて向かったところ、聞いてはいたが、大学がなくなっていた。府中へ引っ越したらしいが、老人福祉施設の建設がガンガン真っ最中だった。本当に、悲しくなった。3連発で、思い出の地が、この世から消えたって事を、2時間の内に体験するって事は、なかなか、ないですよね。
ここで、何を思ったか?
ふ~ぅ、もう、後戻りできないな。満足できる過去に感謝して、前進するか?進むしかないな!


②山の手線徒歩の旅(2/3)
1/3徒歩制覇の話をしたら、大学時代の友人が、共感してくれた。その為、後日、2人で残りの2/3を歩き、完全制覇する事となる。本当に、こんな馬鹿企画に共感してくれる友人は、馬鹿大好きだ。そんな神田で、終電時間に巣鴨駅のジョナサンに集合。池袋突破し、新宿を4:00頃通過した頃、朝日で周辺が明るくなってきて、新宿は、4:00にも係らず、若者達の密度の多いこと。始発待ちしていたカラオケ族、クラブ族、マック族、テレクラ族が、一斉に外に出てくるから、活気があって、ある意味、少し怖いような。走るように、渋谷に向けて足を速めるが、渋谷には、6:00前には到着。渋谷は渋谷で、更に、低年齢化した若者達が渋谷駅を目指して、行列。なんだ、日本は、絶対、バブルだ!友人は、帰宅のアクセスが良いからという中途半端な理由で、渋谷でバイバイし地下鉄で帰っていった。
そこから、品川経由新橋行きのルートは、1人で進む事となる。 思い出の恵比寿。大学4年生の時に、田舎時代の友人が東京観光で訪問した際に、「では、恵比寿ビアガーデンで飲もう!」って事で、当時の555彼女さんと2x2のビアパーティーを開催した事を思い出した。その時、友人は、Tシャツ、短パン&サンダルの僕の格好を見て、「東京なんだから、ちょっと、お洒落した方が、良いんじゃないの?」って冷めた目で見てたけど、そんなんも懐かしく回顧した。
無事、新橋駅に到着したのは、8:00くらいになっていたけど、最後の直線は、なぜか、ロッキーのテーマ曲が頭を駆け巡り、新橋到着とともに、「ががぁがぁがぁぁぁ!」って叫びたいのを必死に我慢し、帰路のユリカモメも週末とあって、家族連れで少し込み合っている中、必死で、汗臭い自分を隠す事で必死でした。
ここで何を思ったか?
服のセンスは、相変わらず、変化ないね。逆に、退化してる。まぁ、自分は、服装には主眼を置かないから、無理して、頑張っても、苦労するだけだし、このまま路線で、加齢していこう!っと誓う。絶対、男は、中身だって!って都合のいいように無理やり解釈した。

③代々木八幡と言えば・・・
7月中旬に、Design&Creativityのクラスの一環で、教授の会社を訪問しよう!って事になり、港区渋谷のはずれにあるオフィスを訪問した。最寄の駅は、代々木公園駅。初めてのデザイナー会社のオフィス訪問しましたが、格好良いよね。製造業従事者は、絶対、憧れるオフィスで、デザイナーは絶対に、憧れないオフィスが製造業のオフィスだろうね。モダーンな造りの外観で、中はクリエイティブ追求する無駄に広い空間っと、ゴチャゴチャな机の上。パソコンで配色設定しているデザイナーの服は、皆、センス有り。ひげを生やしたデザイナーの横顔が格好良い。オフィスのプレゼンルームで、教授が手掛けたクライアントの仕事の一部を参考文献として、御講義頂く事となった。なぜか、ピザ&ワインが用意されていて、講義なんか、左耳から、左耳に反発していったくらいに酔ってしまいました。疲れてたんでしょうね。
夕方、みんなで帰宅する為に、代々木公園駅に向かったですが、近くに、代々木八幡駅がある事を看板から入手しました。待てよ。俺は、10年前に、なぜだか、代々木八幡駅に来た事あるぞ!っと記憶の教科書を開きなおして、確かに、来た!っと核心できたので、みんなとは、バイバイして、1人で代々木八幡まで向かいました。そこからは、10年前の記憶だけを頼りに、10分くらいさ迷い、やっと、10年前に確実に訪れた場所へ到着しました。例のベトナム社会主義共和国大使館です。ベトナム入国のビザ申請で訪問したのですが、当時に比べたら、ガラッと近代コンクリート西洋風建物へと変貌してました。かつての門を入って左手の階段を登り、薄汚い小屋で、ビザ申請用紙に記入したことが夢のような、立派な建物へと変わってました。10年って期間は、変化するものです。
ここで、何を思ったか?
悲しい事に、なにも、感じませんでした。ただ、10年経過すると、世の中、変わるもんだなぁ~って事と、えらく立派な大使館は、日本政府が負担したのかなぁ?それとも、経済成長を遂げたベトナム政府が、日本を主要国と位置付けて、見栄張ったかなぁ?って事ぐらいかな。もう酔ってたし、早く帰りたくなった。僕は、相当、アレルギーあるね。

④最後に総括
今後、10年経過すると、やばいやぁ、自分は、40歳を経過しちゃうよ。また、東京で生活する事があるかどうかも想像できないし、まぁ、転職しない限りありえないとも思いますが・・・。まぁ、10年前には、僕が今、東京にいる事も予想していませんでしたから、何が起こるかは、分からないのですが・・・。20年経過したら、息子達が大学とかで東京に来ることもあるかなぁ~って、そんな時に、嫌がる息子のところに、「遊びに来ちゃった、エヘヘヘ」なんて言って訪問するときぐらいかな?って想像するけど、絶対、息子達にしたら、ウザイだけなんで、その時は、大金チラつかせて、カマスしかないんだけど、そんな時は、もう、東京オリンピック2回目(頑張れ!2016年!)とかやっちゃってるから、お台場周辺も激変してるんだろうなぁって想像できるよね。
そうだ、定年退職したら、奥さんと銀座に歌舞伎を見に行かないといけないので、その時は、笑えるけど30年後の世界だよ。 正直、古い建物が取り壊されたり、思い出の場所が変化していると、悲しいと感じる事ありますよね。それって何でですかね?今後も、年齢を重ねれば重ねるほど、そんな機会って多分にありますよね。青春時代&熱中時代を過ごした場所が亡くなった様で、悲しいのかね?正直、ノスタルジー(哀愁感)を感じる事ができないのは、ショッキングな事なんだろけど、そんな事、言ってたら、息子達に馬鹿にされちゃうね。オヤジは、いつも、同じ事を言ってるってね。昔は、あそこに、あれがあって、そうそう、あいつと、朝まで、あれしたなぁ~なんて。息子達にしたら、どーでも、いいですよ!だろうね。
決めました!変化を楽しむ術を習得するように努めます。 「眠いだぁ?ふざけんな!いくぞ、六本木!その後、銀座で絞めるから、いいか!」って、息子達を、ガツンと言わせる!そんな、無理一杯の背中を見て、「相当無理してんな。。。まぁ、メンツだけでも持たせてやるか?」って同情してくれたら幸いである。言っておくけど、相当、可愛い彼女を連れてきたら、おごってやる!当然、お前達の母さんよりな!