2007年6月15日金曜日

会社は誰のものか?存在意義とは?


今週末は、どうやら父の日らしい。息子の幼稚園で、土曜日の「お父さん参観会」が開催されるので、ここは、良いパパやっておかないと、さすがに不味いので、授業終了後に帰省する。まぁ、貧乏なので、東名バスにてゆっくり帰省する。4時間くらいの移動だ。
MichaelMooreに、タランティーノ以来の感銘、衝撃を受けたので、華氏911返却し、その隣に置いてあった、DVDを借りてバスの中で、見た。そのタイトルは、「 The Corporataion(企業) 」。てっきり、MichaelMooreの監督作品だと思い込んで見たけど、実は、彼は、Intervieweeで登場しているだけで、監督は、Mark Achbarさんとの事。まぁ、ややこしいけど、面白そうなので、いいか。。。内容は、特に米国の資本主義を謳歌している大企業をテーマに、皮肉を込めて、痛烈に批判している。ホリエモンの時に、日本でも、企業は、株主のものか、従業員のものか、CEOのものか、社会のものか?っと散々議論したけど、この映画の方が、ずっと、Deep。映画での批判は、次のとおり。
1)
企業は、人間と同じように、会社登記する事により、法人として、人間と同じように、お金を借り、社会の一員として活動することが出来るが、その法人(Corporation)こそが、利己的で、暴走していると皮肉っている。近年の、企業による不祥事(エンロン、World.com等)は、金欲に溺れた経営者が堕落した結果であって、これは、企業が悪いのか、資本主義自体が悪いのかを鑑賞者に訴えかけている。
2)
例えば、ナイキ。バングラディッシュやベトナム等で、安い人件費をベースに、一着10セントくらいの原価の物を50㌦で販売する。利益が出るのは、当たり前。この様に、経済貧富の差を利用し、搾取が行われている。最悪なケースは国際的にも禁止されている少年少女(就労禁止年齢)を労働させる事で、結構、行われている。最終的には、ベトナムの労働者賃金の高騰と共に、ベトナムはナイキに捨てられ、更に、経済的未発達地域へと侵略していく。それが、エンドレスに続いた時に、世界は、アメリカによって、荒廃させられる。ウォールマート、GAPにしかり、アメリカの巨大小売業を皮肉っている。
3)
例えば、GM。世界的にCO2抑制運動が起こる中、それでも、大排気量自動車を製造し続ける。当然、先頭を切って、京都議定書反対グループ。そんな大企業が、アメリカ政府と深い関係を持つ事で、貪欲に自国優先政策を取り続ける。
4)
例えば、広告代理店。クライアントからの依頼だからと、商品をいかに買わせるか?を考案する。この広告業こそが、資本主義の典型たるもので、ダダをこねる子供向けに、CM展開を始めている。一番シンプルなのが、スーパーのレジ前にオモチャつき菓子を展示し、子供にダダをこねさせる作戦。または、TVCM自体が、購入者(お金を払う人)ではない子供に対し、誘発するメッセージ(このゲームで一緒に遊ぼうよ!)を流し続け、洗脳し、消費環境を築き上げる。
5)
例えば、9.11テロ事件の時、イラク開戦の時、多くの死者を見て悲しむ人がいるのと同じくらい、これにより、金の相場が上がる、ドルが上がる、石油が上がる、軍需産業が伸びるっと、ビジネスマンが投資に走り、Goldバイヤーはにやつく。これが、資本主義のもうひとつの一面。

まぁ、いろいろなメッセージがあったけれど、全世界にとって、資本主義って本当に、いい思想なの?会社って、存在する価値あるの?ってのを考えさせられる。 企業は、誰のものか?って言われたら、 「みんなのものです!」ってのが、僕の結論。誰も独占できないし、すべての利害関係者に貢献する必要があり、それを怠ると、存在価値ないのでは。っと考えます。だから、企業は誰のものか?って質問自体、ナンセンスな気がしてならない。しかし、みんな(すべての利害関係者)に対して、Happyを提供は出来ない。それが、利害関係者。だから、企業経営は悩み、悩むからこそ、存在する価値がある。「企業も考える葦である。」(パスカルのパクリ)。
ここで、何を学ぶか?
MBAのクラスで、ちょうど、似たようなケースを習った。自動車は、排気ガスを出すし、交通事故による危害を与えたりする。本当に、倫理に基づき、企業が潔白を貫くには、安全普及や自動速度設定(MAX30KM/H)とかのアクションを起こすにせよ、最終的には、自動車の生産を止めるほかない。自動車は、負の側面を持っている一方、ドライバーへの利便さ、快適さ、経済活動へのサポート等、正の側面も持っている。結論として、まったくのクリーン(White)では、それは僧侶の世界であり、ビジネスとしては成立せず、まったくのブラック(犯罪領域)ならば、コムスンのような運命を辿る。会社経営とは、グレーの中で、目的を達成させる機関である。。。みたいな事を学んだ。
人間も同じで、ブラック過ぎると刑務所暮しだし、ホワイト過ぎると山ゴモリするしかない。でも、山ゴモリしても焚き火なんかしちゃったら、CO2出しちゃうから、純白では居られない。なかなか、Whiteな生き方って難しいね。
無理やり、このテーマをHappinessと結びつける。(満足持続できる幸福状態をPureWhiteと定義し、人間の欲をBlackと定義する。)Happinessも人それぞれ、違うのは当然だし、完璧なエクスタシー(PureWhite)を持続させることは無理なのかもしれない。その時、その時で、Happinessもグレーの領域をさ迷っていて、こうなればいいなぁ~って、PureWhite方向に向けて歩もうとするけど、実際には、PureWhiteなんて存在しない。PureWhiteが存在しないから、人は貪欲にも、PureWhiteを求めて、活動すればするほど、欲(Black)が発生してくる。要するに、人間は、矛盾にも、PureWhiteを追及しつつも、White(善)とBlack(欲)を常に混ぜ合わせちゃうので、絶対に、PureWhiteには、辿り着けない。年収1億ならば、なぜか、2億円欲しくなるだろうし、ハーバード主席で卒業したら、大企業のCEOになりたいと思うだろうし、綺麗な奥さんがいたら、今度は、可愛い子供が欲しいと思うようになるかもしれないしね。人間って、本当に、馬鹿だね。だから、生きていくのが楽しいのかもね。