2007年6月10日日曜日

親友って何人いますか?


自分の事を書こうと思ったブログだけど、親友って項目になったら、タイトルで、質問疑問形を使うあたりに、自分の中で、なにか、葛藤がある様子。

親友の定義が難しい。そうそう、MBAで学んだことのひとつに、定義次第で、解決策、問題認識は大きく変わってくるんだよね。当然、結論に至るまでの議論過程も大きく異なってくる。他人との議論で、一番厄介なのが、互いの定義が不一致な中で、いくら、朝まで生テレビやっちゃっても、結論はでないんだよね。田原さんは、頑張って、定義を統一しよう統一しようって、頑張るんだけど、お前、聞いてることに、答えてねぇぞ!って思える場面が何度もある。まぁ、僕も、自分なりに解釈して、言いたいこと言っちゃったりするので、進行役、相手役は、苦労するだろうね。気をつけます。

僕がここで、定義する友人とは、異性も含めます。昔、大学の時に、「異性との間に真の友情は成立するか?」って議論で、1晩中、居酒屋で白熱したことを思い出す。僕は、異性との間にSEX感情のない友情は成立すると思っている。僕の勝手な親友定義は下記、

①僕自身が、その友人の事を信頼している
②その友人が、僕の事を信頼しているかは含まない(検証できない、ここは信じるしかない。)
③距離、会う頻度、会話する頻度は、問わない(3年会話してなくても、親友関係は継続する)
④その友人が困ったときに、金銭、身体を提供してもいいと思っている。
(金銭って言うと、それは?って考える人もあると思う。当然、自分の経済力の中で可能な範囲だし、無限連帯責任なんてのに判はしない。でも、本当に困っているならば、短期的に金銭を貸して助けてもいいと思っている。それで、その金が戻ってこなかった時、親友を失う事となるが、それでも、いいかも。。。って思える奴)

以上の4つの定義で、僕の親友は、6人かなぁ?今回のMBA仲間で、外国人が、この6人の中に新しく含むことになったのは、なんか、Internationalっぽくって、なんか、いい感じ♪。6人って少ない?多い?でも、そんな相対比較は、どうでもいいですよ。なんか、6人ってブログに書くと、すごく、そいつ等に益々の愛着が沸いて来ちゃった。

MBAの授業の中に、OrganizationBehaviorってクラスがあります。如何に、他民族、他人種、性格の異なるスタッフを束ねるひとつの手法として、カンパニー信条(Credo)を掲げて、指揮を高める会社がありますよね。どこの会社もやっていますが。思ったことを書面、文面にすることにより、なぜか、目的に対して、スタッフのCommitmentが高まるらしいです。個人のレベルに置き換えてみても、自分の将来の夢を頭の中でイメージし、それを声なんかに発してみて、終いには、「絶対、現役合格!」なんて書道を机の前に貼ると、やる気出ますよね。まぁ、これは、皆が承知の話。(マーフィーの成功の法則は、読んだ事ありません。自分で探します。)同じことなんだけど、今回の僕の例で言うと、6人と決めることで、その6人は、上記4つのCriteriaを突破する際に、顔が浮かび、楽しかった日々が思い出され、その結果、6人とBlogに書くことによって、決定的な物となった気がします。うん、初めて、MBA授業でうけたレクチャーが、実践で役立った気がする。

相対比較ではなく、何人の親友がいたら、自分としては、幸せかな?中学、高校、大学、社会のそれぞれのステージで一人づつくらい、親友が居てくれたら、大満足かな?今後も、Businessの社会で、それぞれのステージ(課長さん、部長さん)で、共に切磋琢磨する仲間なのか、傷を舐めあう仲間なのか、そのそれぞれのステージで価値感が合致した人が、僕の中での4つのCriteiraを経て、親友となるんだろうな。親友とHappinessの関係は、数ではないかもね。Quality(Deepness)かもね。でも、このWidthかDepthかは、あまり、自分にとって、重要ではない。なんか、今いる6人のそれぞれ、浅いけど長い、短いけど濃い関係とバラバラだけど、こんな仲間がいて、今、幸せだと思う。
そうそう、僕は、親友から安らぎとパワーを貰っている気がする。刺激好きだから、常に僕に、SomethingNewを提供してくれる人が好き。僕も、彼らに、刺激を与えられるようなInfluencialな人間でありたいなぁ~って思うかな。

あと、僕は、自分のキャラクターを八方美人だと分析している。誰に対しても、いい顔をしてします。ゴマすり人間な処がある。これは、そうすることで、Conflictを避けたいと考えるから。言い争いは、すごく苦手だし、育った環境からか、すごく拒否反応が出てしまう。でも、これって、すごく Scare of being aloneなのかも知れない。先に、Quantitiyは関係ないなんて、書いたけど、どこかで、Majorityに属することで、皆から嫌われないで居る事で、自分の居場所がそこにある事に、安心感を求めているのかもしれない。これって、一人でいる事に自信がないからかな?自分ってものがなくて、皆に流されているのかなぁ?日本人だから、皆、僕みたいに、Concensus派が主流なのかなぁ? 

時々、八方美人(偽善者)である事に、疲労感はあるけど、これは、言い争いすることによる疲労感よりも耐えられる領域だから、これからも八方美人で行きたいと思いますけどね。。。
友人とHappinessの相関に関しては、自分の中で、はっきりしたものが、今現在、確立しているような気がする。Keep it! Develop it!