2007年6月21日木曜日

あなたは、脊髄小脳変性症をご存知?


脊髄小脳変性症(英:Spinocerebellar Degeneration (SCD))とは、運動失調を主な症状とする神経疾患の総称で、小脳および脳幹から脊髄にかけての神経細胞が破壊、消失していく病気であり、1976年10月1日以降、特定疾患に16番目の疾患として認定されている。推定では、10万人に4~5人の確率(0.004%)で発症するといわれている。人種、性別、職業による発病の差はない。ただし、孤発性(非遺伝性):遺伝性の比率は6:4であるといわれており、遺伝性疾患の大部分は常染色体の優性遺伝が原因と言われている。
初めて聞く、病名だよね。日付は変わってしまいましたが、6月20日(水)、我がMBAスクールでも、もっとも「Businessマンである前に、人として何を感じ、何が出来るか?」を生徒に問う、「Global Citizenship」の授業がありました。その中で、40歳の一人の女性がゲストとしてクラスを訪問し、その経験を分かり合うセッションが行われました。その女性は、ヘルパーに車椅子を押してもらい、1時間のセッションで、質疑応答に対応するのもやっと、手は振るえ、通訳による質問に対し、回答するまでに時間を要し、うまく言葉として発することが出来ませんでした。注意深く聞けば、どうにか、理解できる程度。神経細胞が、日に日に破壊されていくので、寝たきりの状態間近ですが、頑張れば、声は発することができる、ぎりぎりの状態です。身体は自分の意思では、動かすことができません。
彼女は、一橋大学商学部を92年に卒業し、卒論は、竹内ゼミ(現在、我がMBAスクールの学長、2000年には、世界のMBAスクールで教わりたいOne of best professorsに選出)の元、国際マーケティングを専攻してました。成績は優秀で、その後、日本生命に勤務し、営業サポート(販売員マニュアル、施策展開)を担当していました。かなり、優秀です。入社2年目には、行政書士の男性と結婚もしています。彼女は、CFP(Certified Financial Planner)の資格を取得し、旦那と共に、オフィスを共同運営するエリートでした。が、しかし、2004年に、この病気を患うようになった訳です。0.004%の確立で発症し、非遺伝性でもある為、私達が、この病気に掛からないという保証はありません。
彼女のコメント、クラス内容を全部、書く訳にはいきませんが、質疑応答で、僕の心に響いたいくつかを下記、書きます。
生徒:
何が、一番、困難ですか?この病気を受け入れるのに、どのくらいの時間が掛かりましたか?
女性:
明日、身体が動かなくなるかもしれない、死んでしまうかもしれないっと言う恐怖を克服するのが、一番、困難です。正直、克服は、出来ていませんし、毎日が、必死です。
生徒:
あなたは、今、施設にて、介護されていて、今この時も、非常に苦しそうですが、なぜ、そこまでして、我がMBAスクールに来てくれるのですか?何が、あなたを、そうさせるんですか?
女性:
私は、あなた達から、勇気と刺激を貰いに来たのです。この日を待っていましたし、今日のセッションが終われば、あと、364日、次のセッションが来ることを楽しみにして、生きています。

実は、彼女の母親も同じ病気に掛かっています。彼女よりも2年前に発症したそうです。彼女は、自分の身体に、それらしき症状が起こり始めた時に、母親に心配させまいと、意図的に、精力的に無理をして、その症状を隠し続けたそうです。しかし、それは、半年も続かず、もう演技出来ないほど、友人から、真っ直ぐ歩けてないよ。っと、指摘されるまで、病魔の進行は早かったそうです。深くは知りませんが、旦那さんとは、離婚されたそうです。
ここから、何を学ぶか?
何を感じるか?多くの生徒が、1時間のセッション中に涙をし、僕も、今、これをBlogに書きながら、涙を浮かべている。彼女への質疑応答は、フリーなので、なんの質問でも、問題なかったが、「あなたにとって、Happyと感じる瞬間はなんですか?」なんて、到底、聞けるような雰囲気でないし、そんな気分でもなかった。明日、身体が動かなくなるかもしれない恐怖とは、想像も出来ないし、今まで、考えもしなかった。僕をはじめ、人は、幸福になるために、マズローの欲求5段階説の初期ステップ(生理的欲求=食欲、性欲、睡眠欲)なんてのを上げる場面があるが、明日、死ぬかもしれない恐怖とは、それ以前の話。正直、彼女にしてあげられる事は無く、彼女は、僕達生徒から、勇気と刺激を貰いに来た。っと言ったが、それすら、提供できたか、不安。以前、華氏911のテーマで、God Bless America を否定したが、(理由は、Godはすべての人民の為に存在するのに、なぜ、アメリカだけに御加護なのか?なぜ、God Bless Worldとしないのか?に意図的なものを感じたから)、今回は、僕個人が、心の中で、God Bless her and us! っと叫びたかった。何を学んだか?→安易に言葉にすることの出来ない、Feeling、経験を彼女から学んだ。

その後のクラスでは、自分が身体障害者として車椅子に乗車し、友人がヘルパー役を演じ、竹橋駅を走破模擬体験した。また、80歳老人を体験できるプロテクター、耳栓、専用メガネをかけて、神保町駅を散歩する模擬体験をした。いつも、僕達が当たり前だと思ってること、気付かない事を、彼らの視点から1/100くらいは、習得できたかと自負している。老人体験では、当然、背中を強制的に丸めるプロテクターを付けている為、視線は、常に下向きになってしまうし、更に、専用メガネにて、視野は、極端に狭い、ぼやける。ご老人が、その理由からか、交通事故に遭遇する事が理解できる。しかし、今回の体験で、更に深く痛感したのは、元気な80歳じいちゃんも多数存在するが、ヨボヨボのご老人にとって、街を歩くことは、相当な体力を消耗することになる。腰は痛くなるし、腰が曲がっているから、頭を支える為に、異常に肩の筋肉が消耗する。もう、15分も歩いたら、汗ビッショリ。彼達も、彼らのベストを尽くして、危険を察知し、安全に、ゆっくり歩こうと思うんだけど、自分も体験して分かったことに、疲労が極度を越すと、集中力が衰える。集中力がなくなると、信号が赤である事、信号がそこに存在することすら、予知できなくなってしまう。
ここから、何を学ぶか?
よく、おばあちゃんが、重たい荷物を持って歩いていたり、地下鉄で席が無かったりした場合、助けてあげたいと思うことがあるよね。それって、凄い、サポートだと思う。でも、今回、分かったことは、それって、2ndステップのような気がする。彼らは、彼らで、Independentでいたい!自力で頑張りたい!って思ってるかもしれない。そういうのをアイコンタクトっで察することができたら、格好良いよね。僕にとっての1stステップは、彼らの存在を察知したら、配慮することだと考える。今回、感じたことは、視野が狭い環境の中で突然、自転車が後から追い越していったり、急いでいるOLが目の前を横切ったり、横断歩道で、左折してくる自動車が恐怖でたまらない。僕も、そうなんだけど、横断歩道の一旦停止とかってピタリと停止せずに、ポンピンブレーキで、徐々に徐々に低速前進しながら、スキを伺うドライバーいるよね。その低速前進が、本当に、速く感じ、恐怖に感じるのよ。僕の高齢者、障害者へのサポート1stステップは、彼らにとって、安心できる空間を与える(ちょっと、大げさ)、恐怖なストレスを与えないように、心がけたいと思います。
健康である事が、一番、幸せなのに、人は、それを軽視してしまう。当たり前に思ってしまう。健康でいられる事って、誰に感謝したらいいのかなぁ?