2007年6月30日土曜日

科学的に幸運を掴むには・・・


先日、教授たちのオフィスのあるフロアーに行ったところ、雑誌の切り抜きコピーを見つけた。よくある事で、教授が新聞、雑誌、書籍などに掲載された記事を総務課の人がコピーして、学生達に閲覧できるようにしている。なんでか、分からないけど、BigTomorrow7月号の立正大学経済学部教授の林康史先生の記事がそこには、置かれていた。なんでかなぁ~、彼は、メーカー→生命保険→証券投資信託→銀行→外国為替ディーラー→エコノミスト→教授という華麗なる転職を重ねた経歴を持っており、我が大学の夜間金融コースで、講師でもやってるのかなぁ?いずれにせよ、僕は、会った事のない人である。

まぁ、それは、良いとして、記事の内容が、「科学的に幸運を掴む為の、考え方、動き方」ってタイトルだったので、面白そうと思い、一読した。彼が、全般的に言わんとしている事は、宝くじや競馬で当てる運ではなく、ビジネス社会で成功する為の運を中心に書いている。さくっと、読める記事で、まぁ、面白かったですが、彼が、BigTomorrowで語っていた事、印象に残った内容を下記まとめます。

1)--人間関係も、お金儲けも、「運」がなければうまく行かない!運は、大きく分けて5種類あり、年代ごとに必要とされる運が異なる。生きていくうえで常に必要なのが、健康運。それ以外は、愛情運(10代~20代)→仕事運(20代~30代)→金銭運(30代~40代)→名誉運(40代~50代)。この順番が狂うと、真の幸運を掴むのは、難しくなってしまうかも。っとの事。当然、20代で、名誉運を得ようとしても、成功する事は稀で、いい仕事が出来れば、金銭運を引き寄せ、その結果、名誉運がついてくるって事らしい。

2)--運の良い人は、常に、「自分は、運があると」っと考え、人とは少し違う努力を重ねている。そして、自分の運を大事にした結果、次の幸運へとつながっていく。逆に、「自分には、運がない」っと思う人ほど、運を逃す事が多いとか。

3)--運がもたらせる要因となるのは、「人脈」以外にありえない。どんなに優れた才能を持っていても、それを認めてくれる人、才能を発揮するきっかけを与えてくれる人が周囲にいなければ、自らの運は開けていかない。誰からも好かれる人間になることが、運を掴む第一歩。誰に対しても好奇心を持ち、相手の懐に入っていく姿勢が必要。

4)--人脈を形成するときに、相互にとって、利益がもたらされる関係でなければならない。片方にしか利益がない場合、継続は難しい。ここで言う利益とは、カネ、モノ以外にも、その人といると何故か、癒させる。楽しい。ってのも相手にとっては十分な利益。要するに、Give & Takeな関係。

5)--運の良い人には、おのずと良い情報が集まる。その情報(運)を自分の物だけにするのではなく、他者にも、運を分けることが重要。情報(運)の独占は、短期的には、成功できるが、長期的には、情報が集まらなくなり、運を逃す事となる。

ここから、何を学ぶか?
僕が、MBA勉強するようになったばかりの2006年10月に、学長が、生徒の前で、次のようなコメントをした事を思い出す。「今まで出会った人、これから出会うであろう人、全ての人にベストを尽くしなさい。その人から、飲みに行こう!って誘われたら、どんなに睡眠時間が少なく、体調が悪くても、這ってでも、飲みに行きなさい!そうする事で、思わぬネットワークの中に、自分がいることにある時、気付き、それが、最大の財産となる。」ってな事。当時の僕は、授業の予習、復習に付いて行けず、睡眠時間LessThan3時間で、毎日を回していた為、死んでしまうのが怖く、到底、そんな事しよう!とも思わなかった。でも、今になってみると、じっくり理解できる。誘われてナンボだし、誘われたら、Giveしてナンボだし。それを繰り返す事で、ある時、知らないネットワークに自分が属しているって事って在り得るよね。その人脈の中で、ある時、引っ張り(Promotion)があったり、高度な情報が得られる。そうやって、自分の実力以上の何かをネットワークから得られる事って、すごいよね。
他人の芝が青く見えるからか、なんで、あの人が、あんな綺麗な子と付き合えるの? なんで、あの人が、部長になれるの?って、人間誰しも、ジェラシーみたいなのを感じるときってあると思うけど、その人なりに、運を掴む訓練(ステップ)を積み重ねてんだね、裏で。ゴマすり人間では、Give&Takeに応える事出来ないから、ネットワーク自体も知れていると思うけど・・・・。タバコルームネットワークとか、麻雀ネットワークとか、飲みネットワークとかって、意外と凄いんだろうね。釣りバカ日誌のハマちゃんは、典型的だよね。

要するに、Happyになる為には、Luckyも重要で、(幸運=幸せをもたらす運)、そのLuckyも、実は、個人の努力、意識、行動の積み重ねなんだね。運も実力のうちって事ですね。結局、運は、待ってても来ないから、自分から、掴みに行かなきゃいかん!って事ですね。

PS:

左上のフクロウの意味は、幸せのシンボルって言われているらしいです。主に、金運だけど、首が自由に回ることから、昔から金回りの良い、お金の苦労知らずの縁起物として愛されているらしいです。大学一年生の始めてのデートで、僕は、待ち合わせ場所に、池フクロウを設定しました。丁度、13年前の今頃です。結果は、思ったよりも、すんなりと、短期間で、the End でした。運を掴む努力を怠った結果でした。フクロウみたいにキョロキョロ首は、回りましたが、なんせ、昼間のデートで視界が狭すぎました。いい経験です。

いずれにせよ、今日は、後輩との酒を飲み、もう、ぜzんぜん、駄目ですよぉ。この辺でオア割ります。

2007年6月29日金曜日

人によって異なる時間の価値感


知ってる人は、知ってるけど、知らない人は、全然、知らない事ですが、また、興味のない人にとっては、本当に、どーでもいい事なんですが、僕は、ピンチになると、両方の腕に時計をはめます。他人からしてみたら、意味不明行動ですが、僕にとっては、意味ある行動なんです。これって、超変人扱いされる時(超几帳面、時間に追われてる、ナルシスト、セッカチ)があるので、こっそり、人目を避けて、試みています。ピンチの時だけです。年に2、3日の出来事です。
通常、左手にCitizenのアナログ時計をはめています。あせったり、ピンチの時にだけ、右手にカシオ Gショック(デジタル)をはめます。その時、デジタル時計は、1時間早めた時間に設定してあります。意味ないか?僕にとっては、縁起物って言いますか、迷信って言いますか、こじつけですが、意味あってやってます。
日本は、世界のどの国よりも、一番初めに、一日のスタートを切ります。要するに、日本時間より、マイナス1時間って事は、太平洋のある島(実際には、サイパンは、1時間の時差)って事になります。It is because I eagerly try to grasp the world where it is one hour before than Japan. 本当に、傲慢な奴です。っと、同時に、1時間(60分)を意識して、大切に、その60分を過ごそうと、意識する為に、そうしています。
私の知人で、同じコンセプトで、時間を有意義に使う為に、30分を1タームと設定し、1日を48タームとする事で、それぞれの30分に、目標値を設定して、次から次へと、セクセク、ドタバタ、トライしている人がいます。僕には、出来ませんが、人それぞれ、時間の価値感は違うので、その方のコンセプトは尊重します。確実に言える事は、時間に目標値を設定する事で、アウトプットが異なることは、同感です。
時間は、スピードと置き換えても解釈できます。例えば、僕の場合、高速道路を走る際には、130km/h一定で、常に、右車線を走り続けます。後ろから、スポーツカーがパッシングしない限り、車線を譲りません。大学生の時に、田舎から東京に来る際に、友人の車に同乗させて貰った事があります。彼は、90km/h一定、常に、左車線をキープでした。前の車と車間距離が詰まると、追い越すことなく、速度を落としていました。なにか、乗っていて、凄く違和感(ストレス)を感じたのを覚えています。どちらが、正しいって事もないですが、人それぞれ、時間&スピードの価値感が違うため、相手(体勢)に合わせる事が重要となります。自分の価値感を押し付けるのは、良くありません。バトルになるだけです。でも、相手に、「気付いてよぉ!」ってな期待は、してもいいと思いますし、相手も、気付くように努力しないといかんです。それが、お互いが、相手に合わせるって事なんでしょうね。
っで、ここで、仕事の話に変わります。上司が、彼の頭の中で、1時間ぐらいの仕事量だと想定した業務をお願いしてきました。あなたならば、何分で仕上げますか?仕事の出来る人ならば、50分くらいで、レベルの高いアウトプット出してくるでしょうし、もっと出来る人ならば、10分くらいで、上司に対し、「こんなアウトプットレベルでいいですかねぇ~」なんて、イメージ素案を確認する人もいるでしょう。まぁ、何分で仕上げても、いいのですが、ここで、僕が言おうとトライしてるのは、時間って怖いって事です。お金なんかで買う事できませんし、やり直す事もできませんし。1時間の仕事をそれ以内でこなせれば問題なのですが、僕の経験上、いつもオーバーする傾向にあります。他人からしたら、どうでもいい事に、拘ってる感がある。人には、そのオーバーを見せませんが、残業や、お家での隠れワークで、スマートに繕っている処も無きにしも非ずです。
時間って、怖いと感じるのと同時に、Happinessにとっても、重要な要素である気がしてならない。Happinessは、精神的な局面を多々持つが、物質的な時間ってコンセプトが少なからず、影響を与えていると思う。仕事と私生活のバランスとか。仕事中心人間な僕は、いつも家族の事を思っているよ!って精神的に思っていても、やっぱり、家族と一緒に過ごす物質的時間ってのがなくては、悲しい。では、どうやって、仕事でも充実感を感じ、かつ、家族との時間、プライベート遊びの時間を作り出すかって言ったら、時間(スピード)の恐怖に勝つしかないと思っている。どうやって勝つか?自分の能力を高めて、時間効率(生産性)を押し上げるか?割り切って、時には、諦める事も重要か?そんな事、追求していくと、なぜか、右手に、G-Shockをはめる羽目になる。そういう時に限って、20時間ぐらい熟睡しちゃって、起きて後悔する。ふぁぁ。でも、毎回、思う事は、「よ~く、寝たなぁ~。これで、充電完了!」ってポジティブに切り替える。反省しないから、エンドレスにリピートする。こんな事、繰り返しているけど、いつになったら、時間とお友達になれるのかね? MBAで学ぶ最も重要な事は、戦略でも、財務でもなく、時間をマネージメントする方法らしいです。

2007年6月28日木曜日

Manhattan or Angkor Wat ?


いままで行ったとこのある、観光地、地域の中から、どこが一番良かった?なんて会話をした事が皆もあると思う。その回答って、ひとそれぞれ違うし、そうあるべきなんだけど、これって、面白い事に、その人のそれまでの経験、興味、価値感とかを表現しているように感じる。のほっほ~んとした人なら、沖縄の海って答える人も居るだろうし、歴史・芸術にロマンを感じる人は、フィレンチェって答える人も居るだろうね。
僕は、ニューヨークとカンボジアを2つ挙げて、そこから、ひとつに絞れなくて悩んでいる。絞る必要もないから、そのまま2つをキープしてるんだけど、自分のPCデスクトップは、NYのロックフェラーからの摩天楼写真としている。よく着るTシャツは、カンボジアロゴに拘っている。この機会に、いままで、入国スタンプをゲットした国の数をカウントしたら、Just20カ国でした。200近い国連加盟国が存在するので、まだまだ、世界の10%しか知らない。また、その10%の中でも、ほんの一部分しか、自分は体感してないと思うと、世界は広いし、まだ、知らない世界が沢山あって、ワクワクするね。
訪問20カ国の中で、カップル(夫婦)で訪れるならば、チェコ(プラハ)とイタリア(ベネチア)とかって答えるし、家族皆で行くなら、ハワイが最高って回答します。しかし、今回は、自分の興味、価値感って視点(もし、自分を見つめ直す一人旅)からピックアップすると、やはり、ニューヨークとカンボジアって事になる。前にも述べたけど、ひとつに絞る必要がないから、絞ってないけど、絞れって命令されたら、これは、相当、困る。なぜなら、この2場所は、価値感が全く異なるからである。このBlog開設の主旨でもある、What is Happiness? に戻ってしまうけど、Happiness構成要素をひとつに絞り込めないのと同じ闇深さを感じる。
【僕にとってのマンハッタンの魅力】
1)--世界ビジネスの中心地、国連、証券取引所、メディア拠点としての圧倒感
2)--人種のるつぼってのも死語だが、すべての人種、民族が密集するPassion
3)--狭い孤島によくもまぁ建てたという高層ビル摩天楼。人間の欲深さを感じる
4)--ロックフェラーから見る夕日、振り返ったときの摩天楼の夜景
【僕にとってのアンコールワットの魅力】
1)--大森林の中の孤立感、大自然と融合した圧倒感
2)--クメール民族が、王国建設に向けたPassion
3)--その後の内戦による周辺の地雷とキリングフィールド。人間の欲深さを感じる
4)--アンコールワットから見る夕日、振り返ったときの満月の美しさ
上記2場所は、共に、一人で訪問し、同じく、夕日を見ることが出来た。って言うか、あまりに感動し、アンコールワットには、半日以上居続けたので、当然ですが。アンコールワットには、結婚する前に、若かった僕は、今の奥さんを無理やり、555価値感を押し付けるように、タイ国境より、ピックアップトラックの荷台に乗って再訪問している。彼女にしてみたら、野菜と一緒に運ばれた事、途中の食堂で、チキン解体による床に散らばる鳥羽根を見て、トラウマにしてしまった。
個人的に面白いなぁ~って思うのは、マンハッタン(陽)アンコールワット(陰)は、僕の価値感の中では、対極の関係にあり、これは、古代中国思想の陰陽(左上画像)を想像させる。この世の存在するものは、すべて、陰と陽とに2分でき、互いに対立する関係にあるって考えね。万物の消滅、崩壊は、この2つの気のアンバランスによってもたらされると考えるのが、陰陽説ってことらしい。受動的な性質を「陰」、能動的な性質を「陽」に分類し、陰=影・暗・柔・水・夜・植物・女陽=光・明・剛・火・動物・男と定義している。森羅万象は、陰と陽の相対によって消長盛衰し、調和によって自然の秩序が保たれる。陰陽表では、本当に、すべての存在が、2気に分類でき、例えば、仕事に関して、陰=心理的、精神的、陽=肉体的、社会的。夫婦においては、陰=妻、陽=夫。
ここから、何を思うか?
陰陽デザインは、2次元であるが、なんか、何層にも連なる3次元であるような気がしてならない。夫婦の関係、仕事の充実、対人関係の充実、環境との調和、欲と節制の調和っといくつもの自分を取り巻く環境において、全てにおいて、陰&陽の調和が満たされた時に、Sex Ecstasy(Orgasm)をも超越するUltra Ecstasy High Maxmum Happinessに達する事が出来るんだろうね。では、どうやって、調和させるかって言うと、これって、我が母校(K高)の校訓である、「自主自律」の自律って事では?他からの支配・制約を受けずに、自分自身で立てた規範に従って行動する事であり、カントが道徳哲学で述べる、感性の自然的欲望などに拘束されず、自らの意志によって普遍的道徳法律を立て、これに従う事。(ふぁ、Cacioデジタル辞書大辞泉のパクリ)。カントの道徳哲学は、辞書のパクリだけど、自分の意思によって、自分自身で規範を作り、それに従う。要は、自分なのよ。自分が、何を美しいと感じ、どうあるべきかって問うて、それに従う。自律することで、自分の中で陰陽がバランスキープされる。それによって、秩序が保たれ、Happyへと導く。
あぁぁぁ、僕は、悲しいよ。自律の本当の意味を、今頃、気付いた。決して、自主自立とは思っていなかったけど、僕の両親からしてみたら、「555は、勝手に、自分が主で、自分中心に地球は回ってるって勘違いし、自分の力で、独り立ちしたと思ってやがる!」って思ってるだろうなぁ~。陰陽説ねぇ、バランスねぇ、自律ねぇ、ジーンと来ました。っと言う事で、ニューヨークとカンボジアは、僕に影響を与えた偉大な2場所として、今後もひとつには、しません。だって、すべてが、NY(アメリカ)を目指したら、調和は崩れ、万物が崩壊、魅力喪失しちゃうだろうからね。
PS:
10年前に訪問したアンコールワット周辺は、何もない、本当にのどかな場所でした。6年程前に、今の奥さんと訪問した際には、アンコールワット前には、観光バスの駐車場が出来ていて、遺跡内部も、欧米人によって、にぎやかに変わってました。今では、特に米国系高級ホテルが建設ラッシュらしい。1週間程前の日経社説にカンボジア・フンセン首相と安部首相との投資協定への署名締結に関する記事が載っていた。日本は、1億㌦/年規模の最大のODA援助国であるが、民間投資となると、ベスト10にもランキングしない程、他国に投資ペースで遅いらしい。今後のパートナーシップに向けた両首相の握手が社説の内容であった。同じ頃、僕の住む寮にいるカンボジア人女性(彼女は、六本木のGRIPS政策研究大学院大学で財務政策専攻)と会話する機会があり、喜ばしい近年の急速な経済成長と同時に、なんか、建設ラッシュの外資ホテル等による、なにか、失われていく物の寂しさみたいなのを僕が話した時に、彼女はポカ~ンとした表情であった。僕の英語がPoorってのもあるけど、彼女曰く、「どんどん外資に投資してもらって、カンボジアを豊かにして欲しい!」って言っていた。豊かさってなにかなぁ~。確かに、カンボジアが、経済的豊かさを追求するのは、自由だし、OKだけど、なにか、あの僕を魅了した、あのカンボジアを少しでも維持して欲しいなぁ~って、本当に、勝手ながら思った。

2007年6月27日水曜日

人を動かす言葉の力


Blogを書くようになって、あらゆる情報に敏感になる自分を感じる。今まで、キャッチできなかった事が、感じられるようになってきた。ひとつに新聞、雑誌を以前よりも、読むようになったなぁ~って、思う。しかし、新聞購読はしていないし、雑誌も定期的に購入しているわけではない。要するに、電車の荷物置きに放置されている情報を、いち早く、誰よりも素早くゲットし、自分のものとをしている。
第一希望は、日経だが、運悪いときは、雑誌でも構わない。この運だけに掛けた情報の入手手段が、実は、密かに、面白い。なぜならば、お金が十分にあれば、毎日、日経を買うと思う。でも、お金乏しいから、キョロキョロして、棚を漁る。そこで得た、週刊誌、雑誌が、経済情報以外の、いままで興味を示さなかった幅広いジャンルの情報を僕に与えてくれる。
今日の雑誌は、R25。首都圏だけで出版されているリクルートが手掛ける無料雑誌。広告主が費用負担し、読者には、無料供給するという面白いビジネスモデル。次から次へ新しいアイディアを考えるもんだなぁ~。また、こういう雑誌って、記事の内容が、イマイチだったりするんだけど、30分費やすには、十分な深さと広さを持っている。今週号は、山田五郎(48歳)をインタビューしている。山田五郎は、今では、アドマチック天国のコメンテイターとしてTV出てると思うが、所ジョージっぽい多趣味と、そこから出る独特な視点が、お茶の間にウケテル芸能人である。(ウケテルかどうかは知らないが、未だにTVに出演する所以)。彼のコメントが、印象的だ。
---(R25-6/21号P23パクリ)---
今の若い人って、“自分探し”が好きだよね。でも、探すってのは、例えば、タバコどこいった?って、探す対象が明確だから、見つかる訳であって、何か分からない自分を探してたって、見つかる訳ないじゃん。自分は、探すんじゃなくて、作るもの。同様に、最初から、理想を100%叶えてくれる仕事や異性が、どこかに居ると思ったら、大間違い。自分から好きになる事で、相手を理想に近づけてかなきゃならない。初めから、好きなものが明確に見えていた訳ではない。たとえ興味がなくても、どんなものでも好きになって努力をする。そう決めたら本当に好きなものが見えてきた。
本当に、偶然で、面白いのが、日経新聞に、佐々木毅-学習院大学教授(01-05年東大学長、64歳)が、同じようなコメントを述べている。
---(日経6/18朝刊5面パクリ)---
若い人たちの“自分探し”は、いつの時代にもあったでしょうが、今の日本では社会現象になっている。探せば石ころみたいに見つかるんですか?自分がモノの様に、どこかにあると考えるのは極めて幼稚で、知的に鍛錬されていない匂いがします。残念ながら、世の中は、あなたの為に在るわけではなく、まず、職探しをして、飯を食えるようになってからじっくり取り組めばいい。人間は、社会的存在であるっという事から逃れられません。社会と自分の係わり合いを作るのが人生にとって最大のテーマな筈である。自分探しをしていれば、生きていけるというのは、贅沢な証拠で、豊かさの結果でしょう。必要なのは、自分を突き放す事、露骨に言えば、自分の価格、評価をよく見る事です。自分を相対化する道具として、職業をとらえる。その上で、自分探しより、自分生かしを考えるべきでしょう。若者よ、自分探しをするな!自分生かしをしろ!
ほぼ、同じような事を言っていて、一見、どちらかが、盗作したのか?っとも思えますが、前者は、「自分は、探すんじゃなくて、作るもの。全てを受け入れ、好きになるよう努力する事で、本当に好きな物が見付かった。」、後者は、「自分の価格、評価を社会の一員となる事で、相対分析し、その中で、自分を最大限に生かせ!」ってな事を言っている。
どっちが、シックリきます?僕は、五郎派(前者)。彼は、彼の経験から、若者に対し、「いろいろ、やってみなよぉ~。若いんだし。とことん、いろんな事やってみたら、その結果、シックリ来るものが見付かるよ。きっと。」ってな感じだけど、後者のツヨシさんは、「昔は、ニンジンをぶら下げられて働くメカニズムが存在したが、今は、贅沢な時代。考える前に、まず、社会に出て、その中で、自分を相対的に捕らえたら、自ずと、どう生きるか決まってくるはず。」っと言っている。ふたりが、同時に東大の学長選挙に立候補し、学生に選挙権があったら、五郎さんが、当選すると思う。ツヨシさんは、若者の気持ちを分かってないのではないかな?何か、太陽と北風って僕が幼稚園時代に、先生が絵本を読んでくれたけど、五郎さん=太陽、ツヨシさん=北風って感じがしてならない。
まぁ、今の日本は、2007年問題(団塊世代一斉退職)を回避しなきゃならなし、2012年問題も抱えてるし(団塊世代の定年65歳へと延長先延し)、高齢化社会の逆ピラミッドを成立させなきゃならないし、若者のNEET傾向ってのも日本経済に与えるインパクトは当然、BIGなんだけど、対象となる自分探しに没頭する若者を、如何に行動に移させるかの第一歩を考えたときに、太陽路線じゃないと、奴らは、動かんぞ。そんな事を、リーダーシップの視点から、僕なりの考えを書いて見ました。
なぜなら、書店に並ぶ、今週号のビジネス書のタイトルは、プレジデント=人付き合い革命、日経Assoice=人を動かす言葉の力。どちらも、人にフォーカスを充てていましたので、対象となる人へのメッセージの出し方(言葉の力)ってのが、ちょこっと気になったからです。
Happyっとどう関連するかって? うぅ~ぅぅぅぅぅぅう。あなたが、自分探しをしている若者だとしたら、どちらの意見に共感しますか?そんな共感するようなコメントを述べられるには、相手を察しないと出来ない訳で、そうなれたら、僕はHappyかな?(強引すぎる?Yes, I am 傲慢)

2007年6月26日火曜日

教養は、最大の財産


あの有名な開成高校の校訓は、「ペンは、剣よりも強し」ってのは、有名な話だね。東大に入る事が、武力よりも勝る最大の物とは思わないが、意図していることは十分に理解できるし、格好良い校訓だね。Paper is sharper than sword. ってのも、似たような内容かな。
大学時代に長く付き合ってくれた彼女さんの両親は、共に高校の先生をしていて、その又、祖父に当たる人は校長先生だった背景もあり、「教養は、最大の財産」っていう家訓みたいのを聞いた事がある。それは、それで、また、格好良いね。経験とかは、ある程度、お金を出せば手に入る物かもしれないけど、教養(酒を飲む事を覚えるのも教養っと定義範囲は広いが、ここでは、Accademyっとする)となると、本人の強い意志、忍耐力、好奇心みたいな物がないと、身に付くものではないからね。親が投資してくれても、遊びまくる学生も多いからね。
はい、僕が、その代表格なんだけど、確かに、大学では、たくさんの経験をしたけど、これは、親が資金的に援助してくれたお陰であって、教養は身につけたか?って話になると、コメントは、避けて通りたい。今になって、教養の必要性を強く感じる。教養がない事を悔いてる訳では決してなく、教養があると、人生は楽しくなる!っという事を最近、つくづく、感じるからだ。僕も、30歳過ぎて、気付くのも遅いなぁ~って、自分でも悲しくなるけど、中には、年齢重ねても、気付かない人もいると思うから、ちょっとは、セーフかなぁ、っとも自分を納得させている。以前のブログテーマ(父親参観会)で、自分も親として、子供には、最大限の経験を提供したいと思っていて、その経験を通じて、何かを感じて欲しい!って、書いたけど、その何かってのが、ひとつに教養なのかもしれませんね。そんなOpportunityを、見返りを求めず、提供できたら、Good Papaだね。
本来、大学入試の前には、将来の夢とかと照らし合わせて、希望の学部に入学し、その好奇心をバックグランドに、貪欲に勉学追求するのって、理想だよね。でも、僕には、できなかったなぁ~。なんでかなぁ?このBLOGは、両親も見ているから、読んでて、F●●K Y●U!って舌打ちする姿が想像できるけど、なんで勉強しなかったのかなぁ~?今、思うと、他に楽しい事がいっぱいあって、それで幸せだったんだろうなぁ~。また、教養の必要性に鈍感だったんだろうなぁ。振り返るに、僕が大学で教養として学んだ事は、ビジネスでは、全くと言っていいほど、役になっていません。身につけても無いので、役に立つまでも無く、逆に、下手な期待を上司、同僚に与えて、会社に対しては、Negative Impactを与えたと思ってる。
面白い事に、僕のBLOGで、よく登場するGEのJackWelchが、どこかのアメリカの大学の卒業式で、卒業生に向けた祝辞コメントとして、「卒業おめでとう。これから、ビジネス社会で生きていこうと考えている人は、大学で学んだ事を一切、すべて、忘れる事を薦めます。ビジネスは、ダイナミックで、学生時代とは違ったプレッシャーの中で、いかに吸収し、自分を発揮していくかの世界。下手なアカデミック知識、プライドは捨てて欲しい。アカデミックな社会で生きていこうと考えている人は、大学で学んだ事に、誇りを持って、更に、掘り進める事をお勧めします・・・・」みたいなコメントを残している。同席していた学長は、その後、どんな祝辞をしたのかね? Jackは、常に、他人にプレッシャーをかける人だ。でも、なにか、Jackの言わんとする事が、分かるような気がする。
日本は、学歴社会であるところもあるから、少しでも、偏差値高い大学に行って、少しでも、有名な企業に就職して・・・みたいなのが、もう文化として根付いているような、だって、例えば、教育熱心な親に対して、子供が、「なんで、良い大学に行かなくっちゃ行けないの?」って聞いたとしたら、なんと応えます?多くの親は、「良い大学に行けば、良い会社に勤められる確立が高くなって、そうしたら、良い生活が出来るようになるから、その方が、幸せになれるから・・・」って、結構の親が、マニュアルでもあるんじゃないのかってくらい、そう答えるんじゃないかな?まぁ、それは、それで、間違ってはいないけどね。(両親には、教育熱心でなかった点には、感謝している。勉強しろ!って言わない方が良いよ。やっぱりね。)
僕が、今、思う事は、教養ってのは、仕事には役に立たないけど、教養があると、人生を楽しく過ごせるのは、確実だと思う。教養があると、他人には見えない何かが見えて、それが、また、新しい何かに結びつく。それが、どんどん、アメーバーみたいに、点→線→面→立体→球→膨張とかに変形していくから、無限なんだよね。
例えば、僕が調達担当時代に身に付けた教養としては、仕事がら、購入材料の成分(化学構成)とかを意識するようになって、少し、勉強したのね。教養として。それを知る前は、鉄は、鉄。プラスティックは、プラスティックだと思ってた。しかし、実際には、鉄には、数え切れない種類が存在し、それぞれの特性が違う。それぞれの特性毎に、使われ方も異なってくる。だんだん、仕事が面白くなってくる。(仕事の成果が上がる訳ではない)。中には、特性上、塗装がのり難い鉄がある。そんな材料に、うまく塗装されていると、なんで、ペイントが付着するのか疑問になり、今度は、塗装について興味が沸く。塗装工程の技術じゃなく、ペイント会社の化学成分配合が理由だったりすると、その会社を調べてみたりして、その結果、その会社だけの特殊配合技術で、この技術のお陰で、高収益だったりして、結果、株価も高い。いつしか、単なる鉄が、塗装会社の株価分析までに発展する。これは、無限で楽しい。ここまでは、仕事を楽しくさせる程度。しかし、Lexusの表面塗装は、光沢があるなぁ~、やっぱり、いつかは、乗ってみたいなぁ~って感じ、なぜだか、Lexusの塗装に興味を持つのは、もうプライベートを楽しくさせる範囲まで達している。
だから、「教養は最大の財産」ってのは、良い言葉だ。決して、教養=学歴 じゃないよ!

僕が、MBA入学前に、自宅で自分の部屋に篭り、机に座って、英語の勉強を黙々っとしていた時期があった。その時、長男が、遊んで!って来ると、優しいママが、「だめだよぉ~、パパは、お勉強中だからねぇ~」って息子に言う。すると、当時2歳の長男は、大声で、「僕も、パパと一緒にお勉強したいぃぃ!」って叫んでる。仕方なく、僕の机に、子供用椅子を設置し、座らせると、パパと同じように、クレヨンもって、絵を描いている。彼は、すごく、満足げな表情。「お勉強好きなの?」って聞くと、「好き!」って答える。子供と一緒に、勉強できるって、想像もしていなかったし、Happyを超越した瞬間だった。あまりにも幸せだったから、家内に、勉強風景を写真に取ってもらった。大きくなって、息子達は、教養をどのように解釈するのかなぁ?

2007年6月25日月曜日

僕の計測するMBAの価値


MBAを取得すると、ビジネスマンとしての価値は上がるのだろうか?90年代のUSAではないので、かつてのMBAバブル時代は、すでにピークを越した気配はあるが、それでも、いまだに、MBA取得する為に、世界各国からアメリカを目指すビジネスマンが多い。 あなたは、MBAをどのように評価しますか?
基本的に、難関MBAは、4年制からのダイレクトでの大学院進学を認めていないところが多く、ある一定のビジネス経験者を採用する傾向にある。本来、MBAは、Managerである管理職、または、その直前のランクにいる人材が、会社をManagementする為の事前予備校、専門学校的な要素が多いと解釈している。日本に比較し、アメリカでは、30代前半で、ベンチャー&IT業界を初め、管理職になっていく為、MBA平均年齢が30歳前後というのは、うなずける。日本でのMBAは、日本のビジネス形態(年功序列に基づく、長期雇用制度。崩壊しつつあるが・・・)を考慮すると、MBA生徒の平均年齢は、35歳ぐらいが、妥当だと思うし、MBAで学ぶ事は、まさに、彼らにとって、すぐに使えて、試せる武器となるのではないか、有効的ではないかなぁ~って、個人的に思う。
さて、僕は、会社がスポンサーとなって、授業料&住宅費の一部負担&テキスト書籍代を負担してくれるので、大変助かるが、自己投資となると、これは、MBAの価値ってのをしっかり分析した上で、自分への投資が、いつ、リターンするか、損益ゼロになるかを計算してからでないと、後悔する羽目になるかも・・・しれませんし、ならないかも・・・しれません。日本でのMBA自己投資した場合の金額的負担は、大体、下記になるかな。国立MBAならば、年間80万円くらいですが、私学の慶応、早稲田、立命館となると、桁がひとつ変わってきます。
慶応MBAでの出費学(投資額)試算
1)年間授業料 300万円×2年 =600万円
2)家賃       10万円×2年 =240万円
3)食費書籍費   10万円×2年 =240万円
4)損失給料   600万円×2年 =1200万円(本来、その期間、働く事で得られる収入)
5)損失機会    X × 24ヶ月 =24X  (職場を離れる事でのリスク)
6)扶養者     Y × 24ヶ月 =24Y  (学生の2年間で、子供がいる場合、その成長と共に幼稚園、保険っと出費が増える)
ざっと、合計すると、2,280万円+24X+24Y って事になります。相当な、自己投資だし、田舎ならば、マンション買えますよ!しかし、自己投資を好む人は、それでも、私学MBAを取得し、夢をゲットしたいと考える。ベンチャー社長になれれば、成功係数を掛けて、ある程度、取り戻しは可能。当然、失敗した時のリスクは、よりDeepになるけど。年収600万円だった平均サラリーマンが、MBA取得し、投資銀行や、ボストンやIBMなんかのエリートコンサルタントになって年収1,000万円獲得したとしても、投資額の 2,280万円+24X+24Y を回収するには、6年弱を要する計算になる。だから、年収1,500万円(3年弱返済)を目指す事になる。あなたならば、 この投資は、魅力的ですか?
MBA取得のメリットとしては、
1)--限界への挑戦の場が与えられる。自分への挑戦。苦境に陥ったときの自分に出会える。まぁ、日本的に言うところの管理職養成地獄の富士山合宿ってとこ。
2)--ビジネス専門学校なので、ひと通りのビジネス用語を学び、体系立てて、理論的に理解できる。財務諸表OK、マーケティングOK、人事OK、戦略系OK、帝王学OK。本当、ひと通りは、OK。教科書上の話ね。応用は、個人次第だから。
3)--知り合う人脈。ハーバードなんか典型的だけど、卒業生の30%がCEOになるし、数%は、NY証券取引所銘柄の社長になる。学生時代に、合コンの仲介なんかして恩を売っておいたら、数百倍の投資回収のチャンスだね。
4)--サラリーマンとは違った視点で、自分の興味のある事を追求できる。それが、学生の身分だね。自分を見つめ直すのもひとつだし、誰かさんみたいに、Happyになりたいって、ひとりで哲学ゴッゴする事も可能。
さて、上記のプラス、マイナスを考慮して、あなたならば、自己投資しますか?これって、難しいね。遠い昔、アメリカ大陸を目指して、ヨーロッパ人が一家の財を売却してタイタニック号へ乗船する気分だろうね。チャンスは広がるだろうし、リスクも同時に広がるだろうし。。。僕の場合、顔は似てませんが、ジャック(デカプリオ)みたいに、単なるラッキーで乗船できたから、本当に運だけの人なんで、MBAをお勧めする事も出来ませんし、否定する事も出来ません。チャンスとリスクは、考えようで、ハーバード、MIT、シカゴなんかを目指すんだったら、慶応以上の出費だけど、チャンスは更に広がる。アメリカの国立MBAを目指すならば、チャンス、リスクに小さくなるよね。相対的に。いわんや、日本のMBAは、更に、Smaller。
上記の自己投資をするって判断も、実は、MBA目指す第一関門だったりするんだよね。ビジネス社会では、あらゆる局面で、判断(CriticalDecision)ですから。ただ、僕の身分で、絶対的に言えることは、MBAで学んだ事によって、絶対、会社の会議に出るのが楽しくなる事は間違いない。「おっぉ、この人、相当、自分で戦略を勉強してるなぁ~」とか、「彼のマーケッティング戦略は、美しいが、それに組織が付いて行けるか?」とか、「おいおい、重役は、この投資の判断を希望観測的キャッシュフローだけで判断するのか?3年後のROEには、インパクト乏しいが、株主総会で、なんて、説明するのかなぁ?」っとかってね。これって、凄く天狗発言なんだけど、それを上司にアッパーパンチする事によって、上司の自分を見る目が変わってくる事を感じられるとしたら、期待に答えるのではなく、期待を上回るって事で、Happyだよね。
また、クラスメートと会話してつくづく感じるのが、ビジネスって、理想論だけでは駄目だし、それが、会社の文化、能力っと合致していないと、動かない。動かす為には、リーダーシップってのも必要になってくるし、先見性や決断力ってのも求められる。そんなアメーバみたいにリンクしあう案件を、ビジネス用語を用いて、理論的に検証し、それを現実的に落とし込む話し合いって、すごく、興奮する内容のテーマなんだよね。なんて言うのかなぁ、例えば、ラグビーを知らない人とラグビー観戦をするのと、お互いに同じラグビー知識を持った仲間と観戦したほうが、あーでもない、こーでもないだの、議論は盛り上がるみたいな。ビジネスに関して、MBAは、多角的に理論を学べるって意味では、今後のサラリーマン人生 or 独立人生を楽しく過ごせる事は、間違いないよね。きっと、将来、僕が出会うコメントとしては、「MBA取得してるのに、あのレベルかよぉ~」ってのを小耳にする事もあると思うけど、そんなの無視するもんね。だって、楽しければ、そんなの無視できるもんね。
さて、上記すべてを考慮して、MBAへの自己投資は、徳か、損か、単なる幻か?

2007年6月24日日曜日

狭く深くか or 広く浅く 追求する?


結構、大学の卒業式と、会社の入社式は、経験した事のある人ならば、結構、それは、インパクトのあるイベントではないでしょうか?卒業する事の寂しさと、社会人になる不安や期待が入り混じって、結構、複雑な心理状態ではあるよね。僕なんか、東京から田舎へUターン就職だから、東京駅を最後にする時には、BGMは、イルカの「今、春が来て♪」が輪唱してたし、都落ちっぽいフィーリングも多少、あったしね。僕は、23歳の春に、その二つの経験をしたんだけど、本当に、複雑なコメントを残してくれた2人の大先輩が、そこには、存在した。
大学の卒業式の祝辞で、学長は、外大らしいシンプルなコメントを英語で残している。「Continue to dig here where you now stand, and some day you would find a spring.」みたいな。正しくは覚えていないけど、外大で特殊言語を専攻していた生徒(僕は、専攻と言うよりも、在籍はしてました)に対し、苦境に陥った時に、自分が学んだ事をとことん追求(掘り進める)する事で、いつの日か、きっと、泉に辿り着けるでしょう。みたいな。ここで、学長が云わんとしていた事は、僕的には、「狭く、深く掘ることで、ユニークなポジションを戦略的に確立する事ができ、それが、自分にとって、プラスに働く」っと解釈している。マイケルポーターのポジショニング戦略理論に似ている。当然、違って解釈している人もいるとは思う。あくまでも、僕的解釈。
それから、2週間もしない内に、会社の入社式。当時の社長は、新入社員に対し、「サッカーで喩えるならば、エースストライカーは、要らない。みんなが、フォワードなんて組織は存在しない。ミッドフィルダーがいて、ディフェダーがいて、キーパがいて。皆に期待する事は、自分のポジションに拘るのではなく、オールグラウンダーになって頂きたい。FWでも、チームがピンチの時にはDFの仕事が出来て、MFであってもチャンスならば、ゴールを狙えるような、そんな万能な選手(社員)になって下さい。そうすれば、きっと、皆は、我が社だけでなく、市場からも評価される人材になるでしょう。」みたいな。僕的には、「広く、浅く、知識・業務を習得する事によって、それも、サッカーみたいに、いっぱい走って習得して、視野が広まり、どのポジションでもこなす事のできる人材にならなくっちゃ。」って僕なりに、解釈しました。
23歳の悩める青年に対して、(そんなにウブではなく、当時は、聞き流していましたが)、どちらを尊敬すべきなのか、どちらが正しいのか、悩ましてくれるコメントsでした。決して、2人の大先輩に対して、蔑視しているつもりはまったく無く、この2つのコメントを、後は、どう解釈するかは、本人次第だと思っている。そんなカンダで、月日は流れ、あまり目立った成績を上げる事が出来なかった海外営業の仕事も3年が経過し、調達部門へと人事異動となる。26歳の時に、調達の上司から、次のようなコメントを貰う。「調達の仕事は、営業よりも大変だよ。営業現場は、顧客戦略の1Wayだけど、調達は、社内調整と取引先戦略のManyWaysだから。ManyWaysとは、社内調整といっても、営業、開発、製造、企画の全部門と調整し、しかも、文系マンには酷な、図面等の技術用語、工場等の製造用語を駆使しながら、取引先交渉をしなくてはならない。取引先の財務分析しながらね。だから、狭く深くなんか、追求したら、時間的にも限界があるし、自分が潰れちゃう。広く、浅くをテーマに取り組んだら、いいんじゃないか?」ってな事を、アドバイス貰ったのを、今でも鮮明に覚えている。社長と同様、うちの会社らしいね。
まぁ、会社に入って、営業時代も調達時代も、常にBestを尽くしてきたつもりでいるが、やはり、年数を重ねて、ちょっと成長したのか、このアドバイスを貰って、「よぉ~し、広く、深く、とことん追求するぞ!」って、意欲が沸いて来たのを思い出す。自分が壊れる? どこまで、追求したら、壊れるか、知ってみたいなぁ~。なんて、気持ちになっていた。それからと言うもの、いつもと同じようにBESTを尽くしながら、広く、深く、を追求し続けている。だから、とことん仕事。16時間以上労働/日だし、プラス休日出勤。要するに、人の2倍強のペースでやらなくては、レギュラー取れないのかなぁ~って思って。この辺は、H商野球部より学んだ美学かな。センスの無い選手がどうしたら、レギュラーになれるかって、ひとつしか方法ないよね。でも、今のところ、自分が壊れちゃうまで疲労してないし、この美学追及があって、今の僕がいる訳だから、満足。自信過剰だけど、国体レベルならばオールグラウンダーで、活躍できる自信はある。でも、ワールドカップレベルまでには、あと5年欲しいけど。。。
人生の先輩達が、後輩である僕に、熱きメッセージをくれたけど、どれも有難いし、どれも正しいと思う。外大の学長路線を追求していたら、また、違った僕が、今日、存在していたと思うし、当時の社長路線を追及していたら、僕のセンスでは、国体レベルの自信はつけられなかったかもしれないけど、また、違った何かに気付いたかも知らない。もっと、広い心を持った、家庭思いの社会人になっていたかもしれない。結局、なんでもオッケイなんだけど、今の自分に満足だから、これは、Happyっと言っていいだろうね。Yes, I am happy so far thanks for my family's understandings. 早くブルーのユニホームに袖を通したいなぁ~。(全日本は、日の丸とOceanの融合!)

2007年6月23日土曜日

感謝をどの様に表現するか?


ブログ愛読者から、最近、感想を頂くようになった。「よくも、まぁ、いろいろ書けるね。」ってな読者からの感想は、正直、嬉しかった。書き始めたら、あっという間に書き上げますが、ネタを探すのに、苦労はしています。昨日までの、文字数をカウントしてみた。昨日の株主総会テーマまでで、約40,000文字タイプしてました。原稿用紙100枚分です。開始から2週間で、このペースなので、少し飛ばしすぎですよね。このまま、続けたら、自分史出版 or Happiness研究の第一人者として、書籍を出版できるのではないかっと、想像しました。ドキドキします。終焉するとき、満足いくエンディングが迎えられそうならば、本にして出版しようと考えています。最低10冊オーダーが入れば、出版を決意しようと思っています。
さて、話は変わり、先日の父の日に帰省した際に、ビックリボーナスが棚からぼた餅エピソードが発生しました。家内の実家が、新築しまして、6月16日(土)は、お引越しの日でした。引越屋にお任せコースだったので、これといって、僕的に手伝うことなかったのですが、同じ日に、我が家は、新車をゲットする事となります。あれれ?
ゲットした新車は、NissanのLafestaって言う車。色は青色で、ちょうど、Nissann-HPに掲載されている色、仕様っとまったく一緒なので、リンク貼りました。(青色のHighway Starって奴、クリックしてみて!)結構、カーナビ付けたり、接近センサー付けたりっと、Nissanお得意の、オプション攻撃に撃たれるままに仕様を決めていったら、3M¥くらいになりました。ビックリボーナスの棚からぼた餅です。この車の戦略ロゴが、Shift_the easy drivingだけあって、試乗してみましたが、Easyなんですよね。最近の車は、Easyだねぇ。大した技術だねぇ。先月末にリリースされたばかりの車で、どうやら、納車までに1ヶ月待ちの様子。ゴーンさんは、ボーナスカットらしいけど、せめて、日産の従業員へのボーナスは、現状維持できるかな?
なぜ、新車が我が家に舞い込んできたかというと、家内の父(義父=Nissan愛好家)が、プレゼントしてくれたんです。この出来事が、どのくらい棚からぼた餅かって言うと、6月16日(土)は、父親参観会で、僕は、13:30帰宅。すると、家内が、「車をお父さんが買ってくるって言ってるんだけど。せっかくだから、買ってもらう?」って、聞いたのが、「マジで???」って応えたのが、14:00前。15:00には、Nissanのディーラーに皆で出向き、16:00前には、確定注文書にサイン。あれれ?ほんの3時間以内のドラマ。
義父の実家新築は、長男夫婦と同居の2世帯住宅を新築しまして、それを遠くから見ている長女(僕の家内)がグレて非行に走ったら大変だ!それでは、あまりにも可哀相だ。っと思った義父がプレゼントしてくれたのです。超Happyです。幸せイメージ膨らみます。まさに、左上の写真の様です。(森高千里は、可愛いけど、お父さん役が写真に載ってないのが、少し哀しいですが。。。)8月の卒論終了と共に、家族引き連れ、Disney行こうと思っているので、今からワクワクです。
今まで、愛着を持って乗っていたTOYOTA-SURFは、僕の父親にプレゼントする事としました。まぁ、市場で10万円位になるまで、乗り回したので、価値は少ないですが、愛着はありました。まぁ、親孝行しない息子へのストレス解消として、4WDで砂丘、河原を走破してくれたらっと思っています。
今日のテーマは、こんな出来事があったので、親孝行、2世帯住宅、老後介護とか、親にまつわるテーマってのも良いですが、敢えて、意図的に、避けまして、「感謝の心をどのように表現するか?」って事にします。基本的には、誠心込めて、「ありがとうございますぅ~!」って、言えば良いのかも知れませんが、どのように、お返しすべきですかねぇ。
義理の父は、リッチなのか、心が大きいのか、娘夫婦思いなのか、大金を叩いた事に、アッケラカンっとしていて、「どうだぁ、うれしいだろぉ~!」ってな強制的感謝示せ行動も取らない。なにか、見返りを求める素振りもない。僕なんか、心が小さいから、他人に良い事してあげると、ちょこっと自分自身の行動にうれしく思うと同時に、何か上に立ったような、感謝される事(見返り)を他人に求めてしまう処が無きにしも非ず。これは、本当に、悲しい限り。そんな薄っぺらい態度は、すぐに、表面化してしまうので、他人からしてみたら、「555は、相当、いやらしい。ウザイ!」って存在になっちゃうんだろうね。
今回の出来事から、つくづく、痛感することは、見返りを求めない愛、見返りを求めない奉仕、見返りを求めない援助、見返りを求めない行動は、相手に対して、その人が費やした時間、金額、労力以上に、相手のハートへのインパクトは大きくなって、こだま(echo)する事を知る。以前、このブログの中で、「 Love others, Be loved by others 」が、僕の中でのHappiness 要素のひとつってコメントしたけど、この “見返りのない・・・” ってのが、Be loved by others を満たす為の必要最小+不可欠条件かもね。そんな事を、人生の先輩から、教わりました。感謝しています。

2007年6月22日金曜日

雨の株主総会


今日、とある会社の株主総会へ株主として出席をする。僕の人生で初めての経験であり、そのワクワク感がたまらなかった。今、学生をしていて、時間的な余裕(クラスない場合)が作れる事、また、東京で生活している恩恵を最大限に活用できた機会だった。場所は、日比谷公会堂。2,000人くらいの株主で、席はFullだった。昨日のニュース(野村系ネット証券)では、女性の方が、男性よりも、平均2.7倍稼いでいるようだが、女性の出席者は、1%未満だった。
出席した会社の株式を当然、購入しているので、ブログには、XXX社とでもしてもいいのだが、敢えて、社名を具体的に出す事で、読者のイメージが膨らみ、僕の意見を共有できたらと思います。輸送用機器関連のM社(証券コード:7211)です。96年には、業界初のDI(直噴)エンジンを業界初として市場に導入し、2000年には、1回目のリコール隠し発覚により、当時の社長が辞任している。同時に、ダイムラークライスラーと資本提携開始。2003年、2回目のリコール隠し発覚により、信頼は地に落ち、市場から見捨てられ、ダイムラーも資本追加支援の中止を決定。企業の存在価値以前に、すべてから、必要なし!っと判断された会社である。
そんな会社の株式をなぜ、購入したかについてだが、まず、僕が、この株を購入しようと思った背景を簡単に纏めると、
1)自分の投資センスを計ってみたい 
 (購入時期は、3ヵ年最終計画の最終年であり、上半期時点で計画倒れ。赤字脱却できておらず)
2)企業の復活プロセスを身近に感じたい 
 (リストラ実行、財務改善、戦略転換等)
3)日本最大財閥の底力が、如何なものか、ウォッチしたい
4)株価が手の届く範囲。最悪、全損しても、他人に迷惑掛けないレベル

多少の配当、株価アップも期待したところもあるが、それは、5番目で、正直、あんまり求めていない。MBA候補として、そんなんじゃ、全然、レベル低いんだけどね。MBA戦士は、村上さんみたいな野心的な人が多いからね。さて、再生3ヵ年計画を終え、M社の業績は、どうなったか?
一応、国内外の業務改善をベースに、最終年下半期の円安傾向が、相当、後押しし、営業利益、経常利益、当期純利益すべてにおいて、黒字化達成。来年度も、黒字予想。しかし、それは、最低限の株主が求めていた期待値であって、黒字化の定着、業績の株価反映、信頼回復(顧客獲得)に向けての取り組みは、今後の課題として、残されたままってのが、現状かな。
最悪期からの脱出劇っとなると、Nissanの例が、よく取り上げられる。まず、流血を止め、リハビリをし、体調回復したら、攻めへと転じる。カルロスさんは、3年間で、体調回復まで達成したと評価するけど、M社の益子さんは、3年間でリハビリレベルかな。比較すると、ペースは、少し、遅いかな?そんなスピードの遅さ等は、今日の総会で、十分、激(罵倒)が、飛び交っていた。簡単に、僕の肌で感じた総会を下記に纏めます。
1)総会屋について
M社は、97年に総会屋への利益供与事件により、摘発を受けている。今朝も、日比谷公会堂に向かう途中、ヤクザとか、いるのかなぁ~なんて、思いながら会場に向かったんですが、いましたよ。総会開始を待っている時に、僕は、当然、前から3列目のGood Positionキープしてましたが、早速、受付付近で、ひとりの株主が叫び始めた。10分くらい、ギャーギャー言ってる。開始まで、時間があったので、その前に、タバコでも吸っとくかって、屋外特設テントへ向かう途中、そのギャーギャー総会屋を横目で見ながら、彼の横を通過してテントへと向かった。今日の東京は、小雨が降り注ぐ天気のなか、なぜか、ハワイでしか売ってない様な麦藁帽子を被り、ちょっと、茶色掛かったメガネをされている、とてもお洒落な方でした。そこで、ビックリ鼻血なのが、テントでタバコ吸ってたら、そのお洒落な麦藁帽子さんが、お友達(部下)らしき3人を連れて、テント来ました。6畳もない狭いテントに、僕含め、5人ね。もう、興奮で耳はダンボなんだけど、ビックリしたよね。タバコの煙吐くの忘れて、飲み込んじゃったもんね。会話の内容は、「数年前の・・・会社の総会では・・・・。ヤボな質問する株主が居て、A課長が、目で訴えるわけよ。どうにかしてぇ~って、だから、野次ったら、そいつ、・・・組の若僧で、俺の子分に、ちょっと行かせて・・・・」。。。みたいな会話。いつの時代になっても、彼らは、存在し続けるんだろうな。だって、彼らにとって、株主総会は、まさに、暴走族が七夕、元旦が、最大イベントの様に、彼ら自身が、自らの存在を実感できる場面だからね。まぁ、いろいろな人が、いますね。
2)質疑応答について
全体の総会は、2時間半で終了した。シャンシャン総会とまでは、行く訳もなく、議長(益子社長)により、30分ほどの前年度業務報告の後は、質問タイムとなった。要するに、2時間の質疑応答ですが、これって、下手な映画よりも、断然、面白く、勉強になる。まぁ、映画料金の100倍のお金を預けれいるから、面白くなくっちゃ全然、駄目なんだけど、最高のエンターテイメントであると感じた。当然、復配当時期、適正株価に関する内容は、突っ込まれるわけで、対応するCFOが、コメントする毎に、「もっと、明るくしゃべれ!」、「認識が甘すぎるんだよ!」、「だから、駄目なんだよ!」なんてのが、絶妙なタイミングで飛び交う。まさに、プロレス観戦をしているようでもある。まぁ、これは、表面的なエンターテイメントであって、僕が、真に楽しく思えたのは、会社経営者と株主(投資家)との緊張した関係、シビア感、また、激しい質問に回答する重役達の姿勢、その内容は、一種の頭脳合戦でもある。うまく表現できないのが残念だけど、王貞治が、日本刀でちり紙を切る瞬間に似た一種の緊張感が、そこには、あった。当然、壇上に構える議長はじめ重役達は、水を一滴も飲まないのは当然として、受け答えの内容、しぐさ、口調に知性をも感じた。将来、DirectorやCEOになりたいと思っている人は、出来るだけ早い時期に、株主総会の雰囲気を経験することをお勧めします。下手なExecutiveだったら、総会は、収拾つかなくなって、本当に、株主に泣かされる(苛められて)結果になるね。僕の今回のスタンスとしては、物言う株主ってサイドではなく、自分がCEOだったら、どう対応するかって視点で2時間半過ごしたんだけど、正直、今の自分だったら、この総会は仕切れないって痛感した。きっと、涙しながら、「すみません。もう、この辺で、宜しいでしょうか? 一生懸命頑張りますので!」なんて言って、収めるしかないよ。とても勉強になる。
3)M菱財閥の底力について
この底力については、相当、関心がある。当然、財政面の底力、グループとしての意地(プライド)、日本を代表するエリート(知能集団)の実力、楽しそうなキーワードが並ぶよね。M菱財閥は、一種の典型的な日本社会のSmall縮尺版だと思っている。高学歴エリート集団、官僚的、グループでの親密関係(コネ)なんてのをどう打ち破るかって、興味がある。ある意味、Nissanよりも、超日本的だから、注目に値する。人間、そう簡単に、変われないのです。長い年月を掛けて形成された個性、社風は、変えられないのです。難しいのです。自分で自分の非を認め、敢えて、自分を苦しめ、精進する事って、分かっていても、難しいんです。恐怖があるから、自分の安全を確保しようとも人間だから思うだろうし。でも、しかし、However、変わらないといかんのですよ!(自分にも言い聞かせてますが)。今日の質疑応答でも、「日本一のグループネットワークを持ちながら、それを生かしきれていない!なに、やってんだ!」ってゲキも飛んでいた。Nissanに比較してみても、資産売却リストラの内容、工場閉鎖のドラスティックさ、系列打破の勢い、タブー撲滅の非日本的発想と、M社は、一歩、劣るのが正直なところ。っが、しかし、今のM社重役達は、すべてグループ会社(重工、商事、銀行)からのメンバーで占められている。さて、日本のエリートは、自ら、自分を変えられるか、今後もウォッチしていきたい。楽しみだね。実は、M社復活には、エリート(同グループ)よりも、素人(90年代初めのIBM復活の際、異業種のナビスコ食品のCEOがマンモスIBMを復活させた)の方が、適任なのかもしれないし、さて、どうなるかね?
まぁ、長くなったけど、今日は、刺激ある、いい経験をする事ができた。株価も低いし、配当もしばらく無いし、銀行に預けてた他が、よっぼど利息付くけど、自分への投資と考えたときに、十分、リターンとして感じられるだけの経験を得る事ができた。今日は、刺激的でHappyな日だった。

2007年6月21日木曜日

あなたは、脊髄小脳変性症をご存知?


脊髄小脳変性症(英:Spinocerebellar Degeneration (SCD))とは、運動失調を主な症状とする神経疾患の総称で、小脳および脳幹から脊髄にかけての神経細胞が破壊、消失していく病気であり、1976年10月1日以降、特定疾患に16番目の疾患として認定されている。推定では、10万人に4~5人の確率(0.004%)で発症するといわれている。人種、性別、職業による発病の差はない。ただし、孤発性(非遺伝性):遺伝性の比率は6:4であるといわれており、遺伝性疾患の大部分は常染色体の優性遺伝が原因と言われている。
初めて聞く、病名だよね。日付は変わってしまいましたが、6月20日(水)、我がMBAスクールでも、もっとも「Businessマンである前に、人として何を感じ、何が出来るか?」を生徒に問う、「Global Citizenship」の授業がありました。その中で、40歳の一人の女性がゲストとしてクラスを訪問し、その経験を分かり合うセッションが行われました。その女性は、ヘルパーに車椅子を押してもらい、1時間のセッションで、質疑応答に対応するのもやっと、手は振るえ、通訳による質問に対し、回答するまでに時間を要し、うまく言葉として発することが出来ませんでした。注意深く聞けば、どうにか、理解できる程度。神経細胞が、日に日に破壊されていくので、寝たきりの状態間近ですが、頑張れば、声は発することができる、ぎりぎりの状態です。身体は自分の意思では、動かすことができません。
彼女は、一橋大学商学部を92年に卒業し、卒論は、竹内ゼミ(現在、我がMBAスクールの学長、2000年には、世界のMBAスクールで教わりたいOne of best professorsに選出)の元、国際マーケティングを専攻してました。成績は優秀で、その後、日本生命に勤務し、営業サポート(販売員マニュアル、施策展開)を担当していました。かなり、優秀です。入社2年目には、行政書士の男性と結婚もしています。彼女は、CFP(Certified Financial Planner)の資格を取得し、旦那と共に、オフィスを共同運営するエリートでした。が、しかし、2004年に、この病気を患うようになった訳です。0.004%の確立で発症し、非遺伝性でもある為、私達が、この病気に掛からないという保証はありません。
彼女のコメント、クラス内容を全部、書く訳にはいきませんが、質疑応答で、僕の心に響いたいくつかを下記、書きます。
生徒:
何が、一番、困難ですか?この病気を受け入れるのに、どのくらいの時間が掛かりましたか?
女性:
明日、身体が動かなくなるかもしれない、死んでしまうかもしれないっと言う恐怖を克服するのが、一番、困難です。正直、克服は、出来ていませんし、毎日が、必死です。
生徒:
あなたは、今、施設にて、介護されていて、今この時も、非常に苦しそうですが、なぜ、そこまでして、我がMBAスクールに来てくれるのですか?何が、あなたを、そうさせるんですか?
女性:
私は、あなた達から、勇気と刺激を貰いに来たのです。この日を待っていましたし、今日のセッションが終われば、あと、364日、次のセッションが来ることを楽しみにして、生きています。

実は、彼女の母親も同じ病気に掛かっています。彼女よりも2年前に発症したそうです。彼女は、自分の身体に、それらしき症状が起こり始めた時に、母親に心配させまいと、意図的に、精力的に無理をして、その症状を隠し続けたそうです。しかし、それは、半年も続かず、もう演技出来ないほど、友人から、真っ直ぐ歩けてないよ。っと、指摘されるまで、病魔の進行は早かったそうです。深くは知りませんが、旦那さんとは、離婚されたそうです。
ここから、何を学ぶか?
何を感じるか?多くの生徒が、1時間のセッション中に涙をし、僕も、今、これをBlogに書きながら、涙を浮かべている。彼女への質疑応答は、フリーなので、なんの質問でも、問題なかったが、「あなたにとって、Happyと感じる瞬間はなんですか?」なんて、到底、聞けるような雰囲気でないし、そんな気分でもなかった。明日、身体が動かなくなるかもしれない恐怖とは、想像も出来ないし、今まで、考えもしなかった。僕をはじめ、人は、幸福になるために、マズローの欲求5段階説の初期ステップ(生理的欲求=食欲、性欲、睡眠欲)なんてのを上げる場面があるが、明日、死ぬかもしれない恐怖とは、それ以前の話。正直、彼女にしてあげられる事は無く、彼女は、僕達生徒から、勇気と刺激を貰いに来た。っと言ったが、それすら、提供できたか、不安。以前、華氏911のテーマで、God Bless America を否定したが、(理由は、Godはすべての人民の為に存在するのに、なぜ、アメリカだけに御加護なのか?なぜ、God Bless Worldとしないのか?に意図的なものを感じたから)、今回は、僕個人が、心の中で、God Bless her and us! っと叫びたかった。何を学んだか?→安易に言葉にすることの出来ない、Feeling、経験を彼女から学んだ。

その後のクラスでは、自分が身体障害者として車椅子に乗車し、友人がヘルパー役を演じ、竹橋駅を走破模擬体験した。また、80歳老人を体験できるプロテクター、耳栓、専用メガネをかけて、神保町駅を散歩する模擬体験をした。いつも、僕達が当たり前だと思ってること、気付かない事を、彼らの視点から1/100くらいは、習得できたかと自負している。老人体験では、当然、背中を強制的に丸めるプロテクターを付けている為、視線は、常に下向きになってしまうし、更に、専用メガネにて、視野は、極端に狭い、ぼやける。ご老人が、その理由からか、交通事故に遭遇する事が理解できる。しかし、今回の体験で、更に深く痛感したのは、元気な80歳じいちゃんも多数存在するが、ヨボヨボのご老人にとって、街を歩くことは、相当な体力を消耗することになる。腰は痛くなるし、腰が曲がっているから、頭を支える為に、異常に肩の筋肉が消耗する。もう、15分も歩いたら、汗ビッショリ。彼達も、彼らのベストを尽くして、危険を察知し、安全に、ゆっくり歩こうと思うんだけど、自分も体験して分かったことに、疲労が極度を越すと、集中力が衰える。集中力がなくなると、信号が赤である事、信号がそこに存在することすら、予知できなくなってしまう。
ここから、何を学ぶか?
よく、おばあちゃんが、重たい荷物を持って歩いていたり、地下鉄で席が無かったりした場合、助けてあげたいと思うことがあるよね。それって、凄い、サポートだと思う。でも、今回、分かったことは、それって、2ndステップのような気がする。彼らは、彼らで、Independentでいたい!自力で頑張りたい!って思ってるかもしれない。そういうのをアイコンタクトっで察することができたら、格好良いよね。僕にとっての1stステップは、彼らの存在を察知したら、配慮することだと考える。今回、感じたことは、視野が狭い環境の中で突然、自転車が後から追い越していったり、急いでいるOLが目の前を横切ったり、横断歩道で、左折してくる自動車が恐怖でたまらない。僕も、そうなんだけど、横断歩道の一旦停止とかってピタリと停止せずに、ポンピンブレーキで、徐々に徐々に低速前進しながら、スキを伺うドライバーいるよね。その低速前進が、本当に、速く感じ、恐怖に感じるのよ。僕の高齢者、障害者へのサポート1stステップは、彼らにとって、安心できる空間を与える(ちょっと、大げさ)、恐怖なストレスを与えないように、心がけたいと思います。
健康である事が、一番、幸せなのに、人は、それを軽視してしまう。当たり前に思ってしまう。健康でいられる事って、誰に感謝したらいいのかなぁ?

2007年6月20日水曜日

日本文化再発見


僕、学生の頃は、日本史なんか大得意で、戦国武将とかにロマン感じたし、昭和史には特に興味持って個人的にウォッチしてきたんじゃないかなぁって思う。年号暗記なんて大の得意で、小学生で、高校受験までは、カバーできるくらいの年号は、いけたんじゃないかと自負している。結構、日本史には、自信あるんだよね。っが、しかし。
今のMBAスクールで、面白い学生イベントがあります。昨年の11月頃に、学生オークションが開催されて、出品者は、ボランティアでクラスメートに何か商品、サービスを提供し、競り落とされた金額は、学生基金として、クラスの飲み会や卒業アルバムの軍資金とかに使われたりするんだけど、そこで、外国人生徒向けに出品された、「歌舞伎鑑賞権」を日本人なのに気合入れて、8,000円で競り落としてしまった。理由は、まだ、歌舞伎見たことなかったから、興味あったから。他にも数人の外国人生徒が競り落としたんだけどね。
4月半ばに、出品者と共に、銀座にある歌舞伎座に鑑賞に行った。歌舞伎って、公演時間が長く、11:00~16:00位まで5時間にも及ぶ公演なんだよね。その間に、別々の内容の4話を公演していた。プレイボーイの市川海老蔵も第3話で、主人公として舞台披露していて、公演の内容も、プレイボーイの内容だった。歌舞伎って、シナリオが最高なんだよね。相当、よく脚本が構成されている。
その日の最大のお題目は、第二話の市川團十郎演じる、勧進帳(武蔵坊弁慶)。加藤茶が良く真似する、あの弁慶。もっとも、歌舞伎っぽいお題目だよね。弁慶って、義経への忠誠心、関所を通過する際の瞬時の機転、仲間を統率する能力、酒を飲み場を盛り上げるユーモラス度、もうすべてが格好良い。歌舞伎っていいよ、値段は、べら棒に高いけど、(2F席=8,000円、昼飯=4,000円、パンフレット=2,000円、解説イヤホン=1,500円、花道脇の席なんか、いくらかさえ分からない))

丁度、それから、1ヵ月後、日本の国技(相撲)を両国国技館へモンゴル人友人と一緒に見に行った。もう、僕なんて、朝潮VS北天佑時代の世代だから、最近の相撲なんて、全然分からない。MBA前の半年間のアトランタ生活と、この一年の東京生活は日本のテレビ見てないから、ぎりぎり朝青龍が横綱って事はぎりぎり把握している程度。国技館で何に一番びっくりししたかって言うと、モンゴル人の友人が、相撲を僕に解説してくれた。彼は、相撲用語は、日本語にてマスターしていて、決まり手まで僕に解説してくれた。なんで、そんなに知ってるの?って聞くと、更に驚いた。モンゴルでは、地上波で10局くらいのTV局が存在するらしく、大相撲が始まると、7局が一斉にLiveで相撲を流すそうです。何が違うかと言うと、解説だけが違うだけで、TVアングルはNHK映像を購入しているので、同じ映像。びっくりするけど、まぁ、一応、白鳳が横綱昇進かけた場所を見ることできたので、良かったかなっと思っている。
歴史好きな僕だが、いままで、奈良、京都とか、静的有形文化財を巡る事はあったけど、歌舞伎&相撲などの動的無形文化財を見るのは初めてだった。いい経験になった。知らない世界を知って、ちょっと、賢くなったようで、話題の幅が広がったようで、なんか、Happyになれた2つのイベントだった。
歌舞伎を見てつくづく感じたけど、僕の奥さんは、まだ、歌舞伎を見た事がないようだ。老後、2人で仲良かったら、田舎から夫婦揃って着物着て、銀座で歌舞伎見て、もう、その頃には、築地は、お台場に引越しされてるし、日産本社も横浜へ移転されているだろうけど、お寿司なんか銀座で食べて、リニア新幹線で日帰り旅行できたら、Happyだなぁ~って、感じた。そんなシーンを空想したら、更にHappyになれた。 今日は、ノホッホ~んっと良い感じなので、この辺で・・・・

2007年6月19日火曜日

人生は自分で切り開くか、敷かれたレールを歩むか?


今でも鮮明に思い出すシーンがある。浪人して、19歳にして東京へ上陸して、4月後半くらいの出来事だったかなぁ?同郷出身なんだけど、一年先に入学していた先輩(っが、年齢は一緒)っと、同郷つながりで、話が盛り上がり、ファミレスで大激論をした事がある。テーマは、「人生は、自分で切り開くものか、または、敷かれたレールの上を歩むものか?」。うぅ~ん、哲学的。

僕のAnsewerは、当時も今も変わらず、「敷かれたレールを歩むもの」って考える。先輩は、「そんなのつまらない、自分で切り開きたい」っと豪語していた。どちらも、正しいけど、これって、ある意味、Who I am を象徴しているテーマなので、取り上げる。

僕って、無宗教だけど、一応、かじった事のある宗教や教えから、「これは、格好良い。ジーンとくるなぁ~」ってな語録、考えをリスト化してそれを信仰している。ある意味、555教の教祖を務めつつ、信者は、僕だけって感じ。自分的には、格好良い!って思うけど、なんでも、Acceptedなんで、自分がないのかも・・・って不安にもなる原因かも知れない。グラミー賞とかで、Winnerが、壇上で、神、両親、仲間たちに感謝する姿は美しいと思うし、高校野球で負けて泣く球児を見て、その光景を、自分の中で宗教化さえしている。

なにか、人生を自分の手で切り開く。ってのは、凄く格好良いと思うんだけど、なにか、僕には、傲慢で、自己中心的で、無謙虚に見えて仕方がない。っが、しかし、僕の事を知る人は、特に、僕の両親なんかは、僕の事を、「地球は、555の為に、回っているって思ってやがる。奴は、感謝の心と謙虚さがない!」って思うだろうけど、実際は、その逆なんだよね。人生には、自分ではどうにもならない事ばかりで、健康とか、家族とか、出世とか、、、、、頑張れる範囲で、どうにか、手に入れることは出来るけど、最終的には、逆らえない何かがあって、自分は、敷かれているレールを必死に前進しているに過ぎない。って思えるんだよね。だから、今は、知らないけど、僕の寿命も、既に、決まってんだよね。
ただ、敷かれたレールは、その時、その時に、分岐点が存在し、目標地(東京、北海道?)を決めた後は、右に行ったり、左を選んだり、快速で飛ばすか、各駅で行くかは、自分で決めなきゃ、切り開かなくては成らないんだけど、それでも、結局は、すでにレールは敷かれてると考えるんだよね。

なんでかねぇ?自分を分析してみるに、結構、高校野球の影響が、大きいかもしれない。みんな勝ちたくて、甲子園に行きたくて、毎日、つらい練習を重ねるけど、彼らは、すべてを受け入れる用意がなくては駄目。チーム競技だし、自分が、自分がって張り切っても、自分がエースでノーヒットノーランやっても、負けるときは負けるし、チームメイトのエラーや、審判のジャッジ、運悪いイレギュラーバウンドとかを責めても始まらない。結果よりも、プロセスを凄く重視する傾向にある。充実したプロセスは、勝利とかの結果よりも、得るものが大きいと信じる。満足したプロセスを歩めば、後の結果は、神のみぞ知る世界だと決めつけ、神のジャッジを受ける。その結果が、不合格、失敗、×でも、そこで得たもの(限界への挑戦、努力、友情、献身)は、結果よりも価値あると思いたい。だから、運命は既に決まっているっと信じる所以です。しかし、現実、MBAの世界、ビジネスの世界では、結果主義だから、自分の中では、凄く、虚しいものを感じたりするのも事実。

「自分の人生は、自分で切り開く」派を分析するに、結果主義者な傾向にあるのではないか?っと、思う。彼らは、彼らで、切り開く為に、チャレンジ精神もって、努力するだろうし、結果に拘り、その結果に辿りつく為に、相当の努力をしているから、それはそれで、格好良い。

どちらが正しいのかってのは、分からないし、まぁ、両方、正しいんだけど、人それぞれ、考え方が、違うってのは面白いねぇ。結果主義者は、結果を達成した時に、大きなHappyを手に入れるだろうし、過程主義者は、結果はどうであれ、その過程に少しずつ、小さなHappyをたくさん手に入れるだろうし、人それぞれ、Happy観も違うのかもね。

さて、今の目標は、まず、MBA卒業して、そしたら、会社に復帰して、新しい仕事を与えられるけど、特に希望もないから、コツコツ努力なんかしちゃうけど、ある時、海外赴任辞令がでたら、「敷かれたレール主義者」としては、どうしようかなぁ?まっすぐ行こうか、右路線を選ぼうか、Uターンして待機するか、今は、まだ、分からないけど、きっと来るそんな時に備えて、今のプロセスを楽しむかな!日々前進!

2007年6月18日月曜日

経営の神様が語った。


先週末、東京駅を出発する前に、バスを待つ短い時間を使って、八重洲ブックセンターで一冊の本を購入。毎度の事、何の本でもよかったんだけど、ビジネスコーナーで「今一番売れてます!」の棚に、置かれてあった本を購入した。「ジャック・ウェルチの私なら、こうする!」(日経新聞出版、税別1,500円ポッキリ)。左側の人の本である。
彼は、GE(GeneralElectric)で2002年まで、21年間、CEOを務め、20世紀の誇る偉大なCEOとしてビジネス界では、尊敬されている。彼の21年間は、常に、改革、改革で、BestPractice、WorkOut、Strech、SixSigma、能力主義Systemとか、ビジネス界では、彼の政策を真似ている企業も多く、僕、個人的にも、偉大な人だと尊敬している。そんな彼が、退職後、各国を公演で回ったり、雑誌に連載されている一般人からのQ&Aを、一冊の本に纏めたのが、この本である。
本の表紙には、3時間で読める仕事のバイブルって書いてあったけど、帰省中のバスの中、週末の寝る前、東京へ向かう新幹線の中と、合計したら、6時間くらいは、費やしてしまいましたが、まぁ、その価値は、ありました。前半部分は、PHP出版のような、どうしたらいいでしょうか?みたいな人生相談が中心で、ボーっと読み通せます。面白かったQ&Aをいくつかピックアップしてみます。
1)就職するなら、大企業かベンチャーか?
2)今の会社が買収された。どうしたらいいでしょうか?
3)年長の部下とどう付き合ったらいいでしょうか?
4)直感に頼っていい時、ダメな時。
5)リーダーは、先天的か、後天的か?
6)自分より優秀な部下をどのように評価したらいいでしょうか?
JackWelchの回答は、ここでは、書きませんが、まぁ、楽しく読めそうな内容ですよね。僕は、MBA勉強するようになってから、本を読むときに、マーカーを使って、面白い箇所、勉強になる箇所、パクレれそうな箇所をマーキングするように、何故か、なってしまいました。いつもの様に、適当にマーキングしていたのですが、後半のP231~P252は、さすがWelchさんで、すべてマーキングしたくなるような内容で、度肝を抜かれた。
ウォールマートの存在意義、エンロン事件後の世間の抱く企業へのバッシングに対し、彼の考えがバシバシ述べられていて、圧巻。僕が、このBlogで、過去にテーマにした、「企業の存在価値」っと答えがラップする場面もあり、ちょこっと、うれしくもなった。印象的なコメントとしては、
---2002年以降、企業犯罪で有罪になった人数は、約1,000人で、アメリカ国内でビジネス従事する人数の1%にも満たない。確かに、企業犯罪は、株主、従業員、社会へのダメージを考えたときに、影響力は大きいが、エンロン、ワールドコムの不正は、稀なケースであり、それを受けたメディアに同調し、資本主義の限界・崩壊、企業活動=悪事っと裁くのは、早すぎる。冷静に、ポジティブな側面も見るべきであり、決して、将来を不安視するべきものではない。(By Jack Welch)
---読者からの質問として、「ほんの一握りの人しか成功できないビジネスの社会において、敗者はどうすればいいのか?敗者に居場所はあるのか? 」っとの質問に対し、Jackの回答は、「経済的な意味合いでしか、勝つことを考えていない事が残念だ。会社のCEOになる事も勝利だが、家族を養い、良い友人関係を築くことでも、または、ハーバード出て、ボランティア活動に従事することでも、勝利は得られる。世界で最高の勝者は、自分の選んだ人生を送っているか?の問いに対し、Yesっと答えられる人たちである。それは、心の持ちようであり、自分が夢を諦めた時に、初めて、あなたは負けるのである。世界は、勝者に満ちていて、みんなに居場所がある事が分かるだろう。(By Jack Welch)
なんか、泣いちゃうよね。このBlog立ち上げた僕の理由そのものが、Happiness(Jackの言う所の勝利)を追求する為だった訳で、こんな事、JackWelchが講演なんかで、自分の目の前で言われたら、ジーンときて、泣いちゃうだろうね。本当に、人の心を掴むのがうまい人だ。
よぉ~し、自分の選んだ人生(選んだ夢)を送る為に、もうちょっと時間掛けて、自分自身を見つめなおし、夢を明確にすることで、Happinessを勝ち取りたいと思います!Jackさん!

2007年6月17日日曜日

父親参観会


6月16日(土)に息子の通う幼稚園の父親参観会があり、出席する。8:15~13:10のわずかな間だったけど、これって、かなりの肉体労働だった。イベント的には、9:00~体育館にてお父さんと遊ぶ、11:00~お父さんと一緒にランチ、12:00~お父さんと折り紙。振返ってみても、大した事ない、カリキュラムなんだけど、実際に参加してみると、どっぷり疲れちゃった。

お陰で、16日(土)は、晩御飯食べたら、すぐに寝ちゃって、BLOGを休む羽目となる。絶対、主婦って、いつも、あいつらを相手にしていて、絶対、タフだぁ!っと思った。精神的には、分からないけど、肉体的には、ずっと、サラリーマンの方が楽だね。肉体的疲労を分析してみると、子供に呼ばれて反応して、立ったり座ったり、ちょこちょこ動く息子に、ヒヤッと反応したりと、今までにない動作環境が理由だね。

もう、長男も3才になって、先頭の写真(パパの絵)を描けるまでに成長してくれて、可愛いね。一応、両目もちょんと書いてるから、画期的進歩。帰省するとパパぁ~って叫んで、近寄ってきてくれるから、本当に、可愛いねぇ。でも、成長を喜ぶと同時に、悲しい面もあったりして・・・

【最近、めっきり、悲しかったこと】
1) --GWまでは、トーマス愛好してたけど、今は、仮面ライダー。今回の帰省では、トーマス電車、一回も触らず。あんなに、いっぱい、トーマス電車買ってあげたのに。。。

2) --次男が、パパへの恐怖心から近寄ってこないと、冷静に、「ママの方が好きみたい!」っと、賢い長男が、解説してくれる。

3) --長男に、「一緒に寝る?」って聞くと、本気で、泣いて拒否してくれる。

4) --現在、一つの部屋に家内+長男+次男と3人で寝ている為、たまの帰省時に、一緒に寝よう!っと乱入すると、長男は、まるで、僕を仮面ライダーの悪役扱いで、ママを必死にかばう。正義感強いけど、結構、悲しい。

5) --悪いことしている長男に対し、「そんな悪いことしてると、一緒に、寝ちゃうぞ!」ってふざけて言うと、本当に素直に、やさしい子に変身する。

6) --帰省時に、長男+次男と一緒にお風呂に入るけど、次男は、密室でパパと一緒なのが恐怖らしく、お風呂の最中、10分くらい、ずっと、泣き続ける。反響して、それは、それは、大きな声で。すると、長男が、「お風呂でたら、すぐに、ママに会えるよ。。。」って次男を慰めている冷静なコメントが悲しい。


まぁ、たまぁ~に帰省してみると、勉強の事も忘れ、仕事の事も忘れ(久しく忘れてますが)、また何か違ったフィーリングで単身赴任もちょこっと、悲しいけど、なんか、じゅわぁぁ~って、枯れてたスポンジに水が吸収されるようなエネルギーを得ることができる。まぁ、今回のブログのテーマが父親だから、そのことについて、ちょこっと触れます。

息子たちに何を期待するか?ってのを、自分に問いかけてみたいと思います。やさしい子、勉強できる子に成ってほしいとかって、正直、あまり思わないんだよね。これって、同世代の親たちも、みんな同じフィーリングじゃないのかなぁ?正直、今現在は、何も期待することないかなぁ。嘘をつかない子、思いやりのある子、他人に迷惑をかけない子とかってのも良いんだけど、なんか、息子たちに何を期待するかなぁ?って考えれば考えるほど、自分が親としての役目ってのを考えさせられる。

僕も両親から養われていた時期がある訳で、両親は、共働きで、祖父母と一緒にいる時間が多かったけど、一番感謝しているのは、中学2年生の時に、ロンドンに英語語学留学の機会を与えてくれた事を非常に感謝する。夏休みに3週間ほど、ホームステイする機会を与えてもらったんだけど、費用的には80万~100万円くらい、当時にしたら、結構な額で、一応、JALで往復したけど、日本帰国便が成田に到着したときに、乗客が無事な着陸に対して、拍手している光景をいまだに思い出す。この件は、僕が、外大に入学することによって、どうにか、辻褄を会わす事は出来たけど、正直言って、当時の僕にしてみたら、ロンドン留学は、遊びだったし、親の思いなんか、正直、実感してなかったけど、いま、振り返ると、偉大な経験なんだよね。ロンドン留学の他にも、子供がやりたい!って言う事を、いっぱいサーポートしてくれたと思う。小学生の時にも、広島とか、友達同士の旅行に旅費を負担してくれて送り出してくれたし、それって、金額的な負担も然る事ながら、リスクとかもある訳で。。。感謝の心でいっぱいだ。(言葉にして表現することは一切ないけど)

今の僕を形成するのも、自分で作り上げてきたと言うよりも、親から与えられた環境(予備校とか大学とか、旅行とか、パソコンとか)、そこで知り合った友人とかを通じて、形成されている部分が大半を占めるわけで(下手をしたらAllかもしれない)、自分たちの息子に何を期待するかって問い詰めると、期待するよりも、いっぱい、良い経験、悪い経験を親として最大限、与えたいなぁ~って思う。その中で、息子たちが、その経験を通じて、何かを学び取ってくれたら、うれしいなぁ~、Happyだなぁ~って思っています。経験すると、何かを学ぶわけで、嫌いとか、好きとか、楽しいとか、くだらないとか、ムカつくとか、、、、何でもいいんだけど、何かをゲットしてくれたら、Happyだね。そんな機会を与えられる親になりたいと思っています。

あっ、あった、息子たちに期待することが。我が家は、下手にAmericanizeされていて、頻繁にDeep Kiss を楽しむ。同姓だからって気にしない。いつしか、絶対、息子達は拒絶する時が来るかと思う。そんな時が来ないことを期待したい!

2007年6月15日金曜日

会社は誰のものか?存在意義とは?


今週末は、どうやら父の日らしい。息子の幼稚園で、土曜日の「お父さん参観会」が開催されるので、ここは、良いパパやっておかないと、さすがに不味いので、授業終了後に帰省する。まぁ、貧乏なので、東名バスにてゆっくり帰省する。4時間くらいの移動だ。
MichaelMooreに、タランティーノ以来の感銘、衝撃を受けたので、華氏911返却し、その隣に置いてあった、DVDを借りてバスの中で、見た。そのタイトルは、「 The Corporataion(企業) 」。てっきり、MichaelMooreの監督作品だと思い込んで見たけど、実は、彼は、Intervieweeで登場しているだけで、監督は、Mark Achbarさんとの事。まぁ、ややこしいけど、面白そうなので、いいか。。。内容は、特に米国の資本主義を謳歌している大企業をテーマに、皮肉を込めて、痛烈に批判している。ホリエモンの時に、日本でも、企業は、株主のものか、従業員のものか、CEOのものか、社会のものか?っと散々議論したけど、この映画の方が、ずっと、Deep。映画での批判は、次のとおり。
1)
企業は、人間と同じように、会社登記する事により、法人として、人間と同じように、お金を借り、社会の一員として活動することが出来るが、その法人(Corporation)こそが、利己的で、暴走していると皮肉っている。近年の、企業による不祥事(エンロン、World.com等)は、金欲に溺れた経営者が堕落した結果であって、これは、企業が悪いのか、資本主義自体が悪いのかを鑑賞者に訴えかけている。
2)
例えば、ナイキ。バングラディッシュやベトナム等で、安い人件費をベースに、一着10セントくらいの原価の物を50㌦で販売する。利益が出るのは、当たり前。この様に、経済貧富の差を利用し、搾取が行われている。最悪なケースは国際的にも禁止されている少年少女(就労禁止年齢)を労働させる事で、結構、行われている。最終的には、ベトナムの労働者賃金の高騰と共に、ベトナムはナイキに捨てられ、更に、経済的未発達地域へと侵略していく。それが、エンドレスに続いた時に、世界は、アメリカによって、荒廃させられる。ウォールマート、GAPにしかり、アメリカの巨大小売業を皮肉っている。
3)
例えば、GM。世界的にCO2抑制運動が起こる中、それでも、大排気量自動車を製造し続ける。当然、先頭を切って、京都議定書反対グループ。そんな大企業が、アメリカ政府と深い関係を持つ事で、貪欲に自国優先政策を取り続ける。
4)
例えば、広告代理店。クライアントからの依頼だからと、商品をいかに買わせるか?を考案する。この広告業こそが、資本主義の典型たるもので、ダダをこねる子供向けに、CM展開を始めている。一番シンプルなのが、スーパーのレジ前にオモチャつき菓子を展示し、子供にダダをこねさせる作戦。または、TVCM自体が、購入者(お金を払う人)ではない子供に対し、誘発するメッセージ(このゲームで一緒に遊ぼうよ!)を流し続け、洗脳し、消費環境を築き上げる。
5)
例えば、9.11テロ事件の時、イラク開戦の時、多くの死者を見て悲しむ人がいるのと同じくらい、これにより、金の相場が上がる、ドルが上がる、石油が上がる、軍需産業が伸びるっと、ビジネスマンが投資に走り、Goldバイヤーはにやつく。これが、資本主義のもうひとつの一面。

まぁ、いろいろなメッセージがあったけれど、全世界にとって、資本主義って本当に、いい思想なの?会社って、存在する価値あるの?ってのを考えさせられる。 企業は、誰のものか?って言われたら、 「みんなのものです!」ってのが、僕の結論。誰も独占できないし、すべての利害関係者に貢献する必要があり、それを怠ると、存在価値ないのでは。っと考えます。だから、企業は誰のものか?って質問自体、ナンセンスな気がしてならない。しかし、みんな(すべての利害関係者)に対して、Happyを提供は出来ない。それが、利害関係者。だから、企業経営は悩み、悩むからこそ、存在する価値がある。「企業も考える葦である。」(パスカルのパクリ)。
ここで、何を学ぶか?
MBAのクラスで、ちょうど、似たようなケースを習った。自動車は、排気ガスを出すし、交通事故による危害を与えたりする。本当に、倫理に基づき、企業が潔白を貫くには、安全普及や自動速度設定(MAX30KM/H)とかのアクションを起こすにせよ、最終的には、自動車の生産を止めるほかない。自動車は、負の側面を持っている一方、ドライバーへの利便さ、快適さ、経済活動へのサポート等、正の側面も持っている。結論として、まったくのクリーン(White)では、それは僧侶の世界であり、ビジネスとしては成立せず、まったくのブラック(犯罪領域)ならば、コムスンのような運命を辿る。会社経営とは、グレーの中で、目的を達成させる機関である。。。みたいな事を学んだ。
人間も同じで、ブラック過ぎると刑務所暮しだし、ホワイト過ぎると山ゴモリするしかない。でも、山ゴモリしても焚き火なんかしちゃったら、CO2出しちゃうから、純白では居られない。なかなか、Whiteな生き方って難しいね。
無理やり、このテーマをHappinessと結びつける。(満足持続できる幸福状態をPureWhiteと定義し、人間の欲をBlackと定義する。)Happinessも人それぞれ、違うのは当然だし、完璧なエクスタシー(PureWhite)を持続させることは無理なのかもしれない。その時、その時で、Happinessもグレーの領域をさ迷っていて、こうなればいいなぁ~って、PureWhite方向に向けて歩もうとするけど、実際には、PureWhiteなんて存在しない。PureWhiteが存在しないから、人は貪欲にも、PureWhiteを求めて、活動すればするほど、欲(Black)が発生してくる。要するに、人間は、矛盾にも、PureWhiteを追及しつつも、White(善)とBlack(欲)を常に混ぜ合わせちゃうので、絶対に、PureWhiteには、辿り着けない。年収1億ならば、なぜか、2億円欲しくなるだろうし、ハーバード主席で卒業したら、大企業のCEOになりたいと思うだろうし、綺麗な奥さんがいたら、今度は、可愛い子供が欲しいと思うようになるかもしれないしね。人間って、本当に、馬鹿だね。だから、生きていくのが楽しいのかもね。

2007年6月14日木曜日

華氏911(それは自由が燃える温度°)


Tsutayaにて久しぶりのDVDレンタルをする。大学4年生の時、本当に暇だった頃、死ぬほど、映画を見まくったけど、なんかその時の興奮が蘇って来たたが、当時と違うのは、VHS→DVD化されて、映画のラインナップが増えたように感じる。当時のVHSはスペース的な問題もあるだろうけど、レンタルショップの棚に表紙を向けておいてある映画はすべて制覇するぞ!って気合入れて、3本/日×3ヶ月で制覇したけど、DVD化された今、「こりゃぁ、無理だ」ってあっけなく諦めた。そんな時間も無いしね。
Fahrenheit9/11(Produced by Michael Moore)を借りて、じっくり、2時間鑑賞した。かつて、世間を騒がせたよね。まだ、見てなかったから、見てみました。ご承知のとおり、かなりのブッシュ批判をベースにドキュメンタリーとして纏められているが、極力、フェアに見ようと心がけた。映画と、その後のネットから新たしく知った事、感じた事を下記纏めてみます。

1)
2000年の大統領選挙は、民主党Goreと共和党Bushの白熱選挙で、フロリダ決戦となった。このフロリダ勝者が、次期、大統領決定という高校野球で言うところの決勝戦。しかも、同点で迎えた9回って局面。CNNは、出口調査で、速報として「Gore勝利!」と伝える。結果、ブッシュが勝利したのだが、興味深いことに、フロリダ州知事は、ブッシュの実弟。なんか、関係あるのあかな?
2)
2001年9月11日のWTC航空機テロの2日後、24人のオサマビンラディン親族24人が、FBI許可の下、アメリカを出国している。世間的には、3日間、アメリカ国内は飛行禁止となっていたはず。9.11テロの犯人のうち、15人は、サウジ人だが、そのサウジ人ラディン親族を解放するとは?元々、サウジマネーは、長年にわたりブッシュ父ちゃん時代から、相当額献金しているし、子ブッシュもテキサス石油会社の出資をラディン一族より受けている。やっぱし、マネー?
3)
ラディン逮捕目的で、アフガン侵攻(空爆)開始。出兵数1万1000人。マンハッタン警察の数よりも少ないんだって。本当に、捕まえる気あるのかなぁ?
4)
2003年3月19日、反テロ宣言の元、打倒フセインで、イラク侵攻。大量破壊兵器撲滅の名目。戦況は悪化し、兵士をリクルートする必要あり。映画で出てきたシーンは、ミズリー州の田舎町(ミシシッピー川沿いの中西部)。名目上失業率17%(失業保険切れるとカウントされなくなるので、実質失業率50%)のこの地域で、軍人リクルート。需要と供給が一致するのが悲しい。
5)
華氏911が作成された当時、(今は知りません)、連邦議員の子供で、イラク出兵者は、一人だけ。本当に、正義の戦争ならば、皆、行きたいのでは?
6)
この映画の製作会社は、Disneyの子会社。配給にあたり、親会社のDisneyは、配給拒否を正式発表。Disneyは、フロリダ州より税金優遇措置を受けているから?言論自由の保護じゃないけど、なにか、Disney社にとって、不都合な事があるのかなぁ?
この映画は、自分にとっての久々のヒット作で、他にも、事実、疑問として、がんがん挙げられる事が一杯あった。また、この映画は、リーダーリップとは(9.11発生時のブッシュが過ごしたフロリダの幼稚園での空白の7分間)?、平和とは?、戦争とは?、戦争と資本主義の関係とは?、アメリカはいい国か?、自由を追求する事とは?愛国心とは?っと、もう、書くこと一杯ある。このページを書く前は、ブッシュのリーダーシップについて、知りたくて借りたDVDだけど、今回は、敢えて “God Bless America.”について、自分の考える事を書こうと思う。
2005年後半から、半年間、アトランタで仕事の関係で過ごした事がある。街のあちこちで、God Bless America看板を見たし、8割くらいの車には、星条旗かGod Blessシールが貼ってあった。この映画を見て、Godって何かな?ってつくづく考えるようになった。9.11テロで亡くなった人、イラクで戦死したアメリカ兵も可哀相だが、イラクで被爆する子供も可哀相だ。みんな可哀相なのに、皆が皆、God Bless(神の御加護を)って、唱えるのは、おかしい気がしてならない。世も末期だからか。
僕は宗教には、本当に疎いが、過去の歴史の中で、十字軍に始まり、免罪符(罪軽減札)は売っちゃ不味いだろうし、カトリックとプロテスタントは、争い起こすし、現在に至っても、聖地エルサレムでは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教が、お互いを殺しあってる。西洋宗教だけでなく、日本でも、戦国時代前は、比叡山に僧侶が武装化して権力を握ろうとしたり、何かが狂っている。もう、十分、戦争してきてるのに、未だに、気付かないか、止められない。
重ねて、自分は、宗教には、本当に疎いが、それでも、宗教は、みんなが幸せになる為の、みんなが理想とする世界を築く為の教えじゃないの?困った時にだけ、十字を切ったら、それでいいの?神の存在や経典(活字にはなっているが)は、目に見えるものではないし、人それぞれ解釈が違うと思う。自分の生活を振り返ってみて、やっぱり、悪いことすると、天国に行けないかな?、浄土できないかな?とかって、自分を見つめる事には、凄く、貢献する。また、他人を助けたり、協力しあう事は美しいから、その教えに賛同する事も十分納得。人間一人では生きられないから、他人、その環境、すべてに感謝する心も美しいと思う。
でも、宗教は、世界を救えないし、最後には、人間の欲が、宗教を上回ってしまうんだろうな、きっと。っと思えて成らない。すごく、悲しいことだけど。宗教が、世界を救うのではなく、人間が、世界を救うんだろうね。きっと。でも、その人間が、欲深いから、宗教の教えが必要なんだろうね。っが、悲しいことに、最終的に、人間欲は、宗教の教えを、自分勝手に理解し、それを上回ってしまう。堂々、めぐり。
宗教について、ネットで勉強してみたら、いいコメントを見つけた。二宮金治郎(尊徳)が、発した言葉だそうだ。あの昔、どの小学校にも銅像として飾ってあった彼。
「世の中に本当の真理はただ一つしかないが、その真理に近づく入り口はいくつもある。神道、仏教、あるいは仏教でも天台宗、浄土宗、真言宗などいろいろあるが、これらは何れも、真理への入り口に付いている小道の名前に過ぎない。例えば富士山に登るのに、吉田から、須走りから、須山から、それぞれ登れるが、最終的に頂上に至れば同じ所である。これを、違う目的に到達できる別々の道がある、と考えるのは誤りである。入り口が幾つもあっても、最終的に到達する場所は、一つである。それは、誠である。ところが世の中では、これらを別々な道であると言い、真理が幾つもあるように言っている。」世界中すべての人がこのことを理解し、お互いの宗教を尊重し合わない限り宗教戦争は終わらない。
宗教戦争の話になっちゃったけど、毎回、アメリカ大統領就任式には、聖書に手を添え、神に誓って、宣誓しているけど、宗教って何なんだろうねぇ。。。幸せになれるツールか?

2007年6月13日水曜日

株価予測レポートから思ったこと。


現在の大学院MBAクラスメートは、48人なんだけど、その内の7割くらいが外国より日本へMBA取得のために留学しいる。そんな中で、授業を受け、生活は共にする事ないけど、同じクラスカリキュラムの沿っているから、同じような生活をしている。みんな様々な国、文化、仕事のバックグランドを持っていて、刺激好きを好む僕にとっては、最高の環境と言える。
みんな凄く個性的で、面白い奴ばかり。しかも、みんなピカイチ、頭がいい。個人貿易業をしている奴や、途上国の政府投資銀行勤務暦のある連中もいる。日本人でも、数人の東京大学卒のクラスメートがいるが、やっぱり東大卒は、できる。よく、東大生は、偏った価値感の連中ばかりだとか、協調性がないだとか、言う人いるけど、クラスメートの東大卒生は、本当に、Enjoyableで人間的魅力ある。
先日、休憩中のタバコルームにて韓国から来ているクラスメートと、適当な会話をしていた。彼は、韓国大手証券会社に勤務していた金融マンなんだけど、どうでもいい事を会話しながら、自分の会社の株価変動について会話してみた。

僕:
ここ半年、うちの会社は、株価3,000円位をさ迷っていたんだけど、一ケ月程前に、ドイツ投資信託証券が、適正株価を2,500円というレポートを市場に出した。理由は、先進国での市場の伸びと不透明性らしい。そしたら、市場は反応し、2,800円まで下がった。そんな時、2週間ほど前に、JPモルガン証券が、BRICsでの成長性を  背景に、適正株価を3,500円レベルというレポートを出してきた。すると市場は、いま、3,200円レベルまで戻してきた。ものの2週間で、2つの証券会社より、異なる視点、分析に基づく、レポートが出されたけど、見方が違うのは面白いね。
彼:
これは、対象会社の株価変動以外にも面白い局面を持っている。この先、2週間以内に、ドイツ投資信託証券が、反論レポートを出してこなかったら、JPモルガンの勝ち。本当に、自信があるのならば、ドイツ投資信託証券が、適正2,500円のレポートを出してくる。出してきたときに、市場がどう反応するかで、投資家の信用がJPモルガンか  ドイツか判明する。ウォッチしてたら面白いよ。
結果、それから2週間くらい経過したけど、ドイツ証券から、反論レポートは出てこなかった。JPモルガンの勝ちだね。これで、うちの会社に対する、ドイツ証券のレポート信頼性は地に落ちた。老舗のモルガンが、新米のドイツを早い時期に潰しに掛かっているようで、面白い。あぁ~ぁ、これで、ドイツ投資信託証券も、しばらく信頼勝ち取るんは時間掛かるだろうね。まぁ、うちの会社だけについてなんだけど。
ここから、何を学ぶか?この出来事を自分の仕事に置き換えてみる。ひとつの事象を様々な角度から見ることは、各人の自由。しかし、そのアウトプットで、人々が反応し、ある時には、賛同して、ある時には、賛同しない。ドイツ投資信託証券が駄目って言うわけじゃなく、あまり積極的にレポートを出さない日本証券の方が、全然駄目。今までの自分を振り返ってみるとものの見事に日本の証券会社の様に、静観を極める。大流にのる性格で、きっと、JPモルガンのレポートにより落ち着いた頃にJPモルガン寄りの自分の意見を発表するってタイプかなぁ?格好良いとは言えないよね。
JPモルガンは、当然、格好良いけど、では、ドイツ証券は格好良いか?織田信長っぽくって、ある意味、格好良いよね。僕は、自分の性格を家康っぽいって思うけど、結構な狸親爺だよね。自分の意見を表に出さない、ある意味、凄く戦略家だと思うんだけど、人を熱狂的に魅了させられるかな?なんか、話は、変な方向へと展開しちゃったけど、この株価レポートの出来事から、学んだこととして、瞬時に自分の意見を述べられるような人物になりたいよね。失敗する時もあると思うけど、表現しなければ、その失敗すら気付かない。JPモルガンは、そんな失敗をたくさん、経験してその経験が、今の地位を築いているんだろうね。失敗を恐れるとかじゃなくって、自分の意見を持ちたいよね。
明日の授業の準備がやばい。本当に。今日は、この辺で。。。

国民総幸福量(Gross National Happiness)


Happinessを語るとき、ブータン王国を避けて通れないので、早めに書いておきます。人口200万人強で、GDPは、161位/192カ国(700億㌦=8兆4,000億円)えっ、日本のGDPが、600兆円規模だから、経済規模での比較では、約70分の1である。これって、ある誰かさんが決めた経済指標で比較した場合の話である。

ここで、面白いのは、ブータン王国。彼らは、国民総幸福量(Gross National Happiness) を指標として国家の繁栄を図っている。近年、益々、カナダやアメリカが注目し始め、ブータンは、HappinessにHottestである。

国民総幸福量を語る前に、Wikipedia分析し結果、ブータンの凄いところを発見した。
1)GDP35%は、農業だが、高地を利用し、水力発電によるインドへの電力供給が最大輸出商品
2)2004年12月より世界初の禁煙国家(環境保護、仏教教義に反する為)
3)英語が第一公用語
4)昭和天皇崩御(1898年)には、一ヶ月間、喪に服した。
5)昭和天皇の大葬の礼参列には、ブータン国王は、民族衣装で来日し、世界各国首脳が葬儀の前後に経済協力支援の目的で  日本政府高官と会合を重ねる中、ブータン国王は、一切の外交をせず帰国。新聞記者が理由を尋ねると、「弔意を示しに来たのであって、金を無心しに来たのではない。」っとおっしゃったそうだ。
ブータンは、小国だが、ファンを引き付ける何かを持っている。

さて、GNH(国民総幸福量)についてであるが、1980年代にすでに、政府の基本方針としてスタートしており、経済発展だけでは、Happinessになれないと下記の4つの主要な柱にて構成されている。バランス発展である。
1)持続可能で公平な社会経済開発
2)自然環境の保護
3)有形、無形文化財の保護
4)良い統治
この結果、医療費無料、教育費無料、良い統治で、地方分権化が進み、王国民は、自分たちの住んでいる地域の開発プランに対し、自分たちでプライオリティーをつけ、中央政府へ提案する仕組みにて運営されている。らいし。しかし、その運営は、政府の管理下におかれ、発展のスピードは相当遅い。でも、彼らには、関係ないらしい。

ここで、Happinessと言う一見、非常に主観的に聞こえる概念を、国の政策に取り込むことの妥当性を疑う人がいると思うが、難しい話になりそうなので、今回は、なし。僕が、言いたいのは、世界の国に属する人々は、幸せになる為に、目的と手段を見間違えたのではっと、ブータン王国をちょっと、調べてみて感じた。経済成長自体が国家、国民の目標であってはならず、目標はただ一つ、国民の幸せに尽きるはずなのに、いつしか、経済成長自体が目標になっちゃったよね。フランス革命か、産業革命が理由か。マルクスが資本論なんて本出すからか?やっぱり、最後は、アメリカなのか?いや、日本国民が政府に騙されたのか、個々人が真剣にHappinessに考えなかったからか?

ネットで調べてみたら、いいコメントが載っていたので、パクリます。
---経済的豊かさにより私たちは自由を勝ち得たように思ったが、私たちは勝手気ままに行動する事により、お金さえあれば、一人でも生きていけると思い上がった。そして他者に対する想像力の欠如が生まれ、利他心や慈悲心をなくし、自己中心的な考えしかできなくなった。お互いが持ちつ持たれつの相互依存で生きていることを私たちは、すっかり忘れてしまった。---

これ、まさに、僕の事でしょうか? Yes, I think so. ブータンから学んだ事は、バランスよね。バランス。自分の大切と考える価値感をバランスよく両立される事で、Happyに成れるんだろうね。お金だけでも駄目だろうし、高いStatusだけでも駄目だろうし、当然、愛だけでも駄目なんだろうね。って、勉強になりました。

2007年6月12日火曜日

Result of Happiness Survey


今、アメリカのAcademyは、Happiness研究がHottestらしい。StanfordやPensilvaniaとかは、単独のReserch Centerなんかまで、建設しちゃってる勢いらしい。C教授も曰く、Marketingの世界でも、ターゲット客を調査、分類、分析、4Pなんてステップ進めるけど、国ごと、文化ごと、個人ごとにHappinessを構成する要素が異なり、そのHappy感を見誤ると、Marketing戦略の効率は一気に下がる。

単純な例として、日本は、世界2位のGDPを誇る大国であるが、G8の中では、Happiness調査では、下から2番目。参考に、最下位は、イタリア。なんで、あの陽気なイタリア人がHappyじゃないの?って疑問だけど、日本の下位2番目は、なんか納得できるね。そこで、面白いのは、インドネシア。GDP成長率は高いとしても、日本に比較したら、まだまだだし、車の普及率、携帯電話普及率、インターネット普及率と言ったら、まだままだだよね。でもね、インドネシア人の方が、幸せ指数高いんだよね rather than our Japan! 何を言いたいかって、調査結果として、お金は、Happinessにとって絶対ではない。らしい。

そこで、人それぞれ違う価値感の中で、自分は、何にBe satisfied して、何に興奮して、何に対して、Happyだぁ~って感じるかって調査ができるとの事で、Pensilvania大学が展開しているVIA signature strengthsって幸福貢献項目を見つけ出せるSurveyがあります。やってみました。簡単な英語質問に答えていくのですが、質問数が240問あるので、僕レベルで、40分掛かりました。気合です。 参考までに、興味ある人用に、Surveyのリンク先を紹介しておきます。登録は必要だけど、その後、Spamメールとかは、届かないから、暇な人は、体験してみる価値があると思う。

調査の結果、24項目にわたる要素を、僕のHappyに貢献する順番にRankingされます。
【僕の幸福に最も貢献する項目】
1)新しいことへの興味、好奇心
2)チームワークと忠誠心
3)勤勉、忍耐
4)知人との緊密関係、愛し、愛される環境
5)注意深さ、用心深さ

Summarizeしてみると、新しいことに挑戦している自分が好きで、それに向け、勤勉に忍耐強く取り組む姿勢に、自己満足する傾向にある。また、チームワークを重んじ、グループの中で、忠誠心を捧げる事で、自分を確立し、満足する。意思決定においては、慎重かつ、綿密に熟考し、そのプロセスを重んじる。


【僕の幸福に最も貢献しない項目】
20)情け深さ、他人への許容
21)社会的協調性
22)美への共感
23)謙虚さ
24)勇敢性、大胆さ
他人のミスを許すことが出来ず、結構、執拗に責めてしまう。団体への協調性を重んじるが、態度はそれに矛盾していて、謙虚でありたいと思うが、実際は、天狗になる傾向にある。他人が、美しいと感じる物を共感できず、逆に、冷ややかに見てしまう。大胆な行動をする人を、支持できない。

すごく、Bingoしていると思う。怖いほど、当たっている気がする。僕を知っている人は、同感してくれると思う。下手な占い師に相談するよりも、的確にこの調査は、僕を分析してくれている気がする。でも、ふっと、振り返ってみると、僕って相当嫌な人間に見えてくるね。ちょっと、悲しい。でも、頑張る。 さて、どうやって、頑張るか?長所(Happiness貢献度高い物)を更に伸ばすか?それとも、短所(Happiness貢献度低い物)を伸ばしていくか? 

結論として、Happinessには、Greedyになりたいよね。だから、両方、頑張っちゃう。やっぱし、謙虚でいたいと思うし、他人には、寛大でありたいと思う。意識しなきゃ。同時に、もっと、いろんな事にチャレンジして、経験して、視野を広げても見たい。お金にHungryなのは、ちょっと、格好悪いけど、Happiness(上記項目)にGreedyなのは、格好良い気がする。 ちょっと、Surveyの力を借りて、自分がどんな人物なのか、分かったような気がする。結構、これって、分かっているようで、分かってないもんだったりするんだよね。ちょっと、Surveyに感謝。

2007年6月11日月曜日

あなたは人事担当者。さて、どうする?


このブログ書き始めてから、あまり、MBA授業の事に触れてなかったね。本当に、勉強してるの?って話もあるけど、今日は、ちょっと、授業でのワンシーンを書いてみます。先週末は、ブログ準備と22時間睡眠が悪さして、日曜日の夜は、必死に月曜日の予習しましたよ。お陰で、4:00就寝。もう、慣れっ子です。今回のテーマは、結構、自分の価値感探れる内容かと思います。
クラスのディスカッションでの内容。日本人生徒の彼は、以前働いていた会社での新規採用プロセスについて、悩みを抱えていました。彼の会社は、聞いたら誰でも知っている、大学生にっとっても、毎年の人気ランキングで上位にランクしています。人事部新規採用担当として、今までの伝統として、コネ採用はせず、すべてのエントリー者に対して、平等にチャンスを与え、その中で、社風にマッチした学生、こいつと一緒に働きたいっと思える人材を採用してきた経緯がありました。
ある時、会社の重役から、「A君を、うまく採用ルートに乗せてくれないか?A君は、最大取引先社長の息子で、相手先から、強い要望があってね。。。」との依頼を受けました。人事部として、すべての学生と同じく、あくまで平等にA君にもチャンスを与えましたが、A君は、一次試験で、落とされました。
すると、後日、会社の重役から、「再トライのチャンスを与えてくれないか?」との依頼を受け、渋々、最終面接へとA君は駒を進めることとなります。最終重役面接では、A君は、高評価の採点を得ることができ、最後の人事部判断として、採用者を決定する段階に来ました。
この時、あなたならば、どうする?
1)重役からの依頼だし、取引先の坊ちゃんだし、無難に、採用しとくか?
2)あくまでも採用はフェアに実施すべきで、一次で落ちた時点で、彼は不採用とする。
僕の直感的判断としては、1)重役の意向を受け入れて、A君に採用通知を送っていたと思います。
しかし、クラスメートの実際とった行動は、2)A君に不採用通知を送付しました。その前に、
重役には、採用プロセスの公平性、その会社にとって人が最大の財産であるとする社風を説明し
重役を説得したの後に、不採用通知を発行したそうです。
このケースから、何を学ぶか?
どちらの選択肢もサラリーマンとして正しいと思う。しかし、じっくり振り返ってみると、
1)は、自分のおかれた状況から、一時しのぎの感があり、会社にとって、組織にとって、っと影響範囲を広げて解釈した時に、フェアでない事に、会社そのものの伝統、価値感を壊してしまう事につながる可能性がある。本当に、会社の事を考えたときには、2)不採用の方が、正しいように感じる。
ここで、更に、考えさせられるのは、人事担当者と人事課長が、重役に不採用理由を説得する場面では、重役も我に帰り、きっと、不採用が会社にとって正しいと判断したからこそ、部下の判断を尊重したのだと思う。こういう筋の通った会社で働けるのは、Happyなことだと思う。
最後に、このケースをHappinessと関連付けると、自分の価値感が、会社と合致した場合、その環境は、すばらしい。しかし、自分の価値感が、会社(上司判断)と合致しない場合、仕事って楽しくなくなるんだと思う。一番、最悪なのは、自分の価値感がない場合、その場をうまくしのぎ、責任感すら感じない。自分の価値感がないって事は、本当にみすぼらしい限りで、ゴマすりのあげく、出世したとしても、これって、Happyか?って思う。きっと、このブログの趣旨である、本当のHappinessに気付かずに、定年退職していくんだと思う。
僕の場合、MBA勉強する前までは、同じ会社で長期雇用されて、定年退職しようかなぁ?って考えていた。でも、今は、会社が自分に期待してくれる限り、その期待を超えたいと思うし、期待されなくなったら、会社を辞めようかと考えるようになった。あと、自分の価値感が、会社と擦れ違うようになった時、その価値感の合致した会社に転職してもいいかなぁ?って思うようになった。この一年のMBAは、自分の人生にとって、大きな分岐点になるような重要な事を見つけた気がする。
が、しかし、まだ、自分の価値感が、纏まってないんだよね。。。。。。早く、確立しないと、僕も、オジサンになっちゃうだよ。。。。ってな事を、MBAでは、勉強しています。っで、これから、明日の予習を始めます!

仕事で得る充実感


今回は、自分にとっての仕事について、書きたいと思います。今まで、お金、愛と、結構、文字数費やしてきまして、読者も、そろそろ、疲れてきていると思うので、BulletPoint方式にシンプル極めたいと思います。

当然、左上の写真は、Professionalなイメージってことで、僕を知っている人は、「やばくない?勘違いしてない?ぜんぜん、Coolじゃないし、Too much HOT!だよねぇ」って言うと思うけど、Welcome。あくまでもイメージだから。がんがん行くよ。
【なぜ、猛烈に仕事をするのか?】
①PJ、タスクを達成したときに得る、充実感
②困難を突破した時の 達成感
③毎日、新しい刺激を発見できる
④周りの人に尊敬されたいから
⑤頑張ったら、給料なり、昇進なり、見返りがきっとあるから
⑥仕事のできる人物を尊敬できるから、そうなりたい
⑦仕事が好きだから
【MBA勉強中の今、抱くジレンマ】
①なんか、自分の事しか考えていないのではないか?
②真のリーダーは、自分中心でいいのか?
③今の猛烈主義を支える価値観は何なのか?
④根性、努力はすばらしい。しかし、バランスは取れているのか?
⑤自分はどうあるべきか?どうありたいか?と問うた時に、理想は何か?
【自分の抱く理想のリーダー像】
①仕事とプライベートの両立
②部下を信頼し、部下から信頼される
③自分はどうあるべきか?会社はどうあるべきか?何をすべきかが明確
④先見性のある広い視野を持つ
⑤判断、決断力がある。また、そのCriteriaが明確
⑥謙虚である
⑦スタッフ、組織に影響力のあるリーダー
こんな事を最近、考えるようになりました。MBAを勉強しようと学生にならなければ、気付かない、いや、全然、疑問にも抱かずに、自分中心に考え、近視眼的に仕事に取り組んでいる自分が想像できる。そういった意味でも、MBAの勉強は、自分にとって、自己を見つめるいい機会だと痛感する。
ひとつの例として、BeforeMBA勉強の時は、自分の価値感(Who I am, What I should do)なんてなかった。ガムシャらに猛烈仕事する事で、自己満足していたし、価値感ないから、上司からの命令に対しては、Yes、Sir的な疑問も抱かずに、すべてを受け入れてきた。それは、それで、良かったのかもしれない。DuringMBA勉強中の今は、なにか、変化が出てきた。GreatLeaderになる為には、人望厚く、決断力なくては、組織を引っ張っていけない。自分の信条とする価値感なくして、さまざまなプロジェクトを決断できる訳もなく、また、部下は、上司の判断、決断を横目でじぃ~っと見て、その上司の器を判断している。そんな横目で様子を伺う部下に対し、カウンターパンチを浴びせるようなGreatDecisionをしてみたい。影響力を与えるためには、自分の価値感を確立し、それを、組織に落とし込まなくては、せこい組織で部長になって威張っていても、井の中の蛙。ちょっと、悲しい。
そこで、僕が今、今日現在、偉大だと思えるリーダーを挙げてみたいと思う。

1)Jack Welch
  20世紀の誇るCEOの一人、1981年よりGEのトップとして、20年連続の増収、増益
2)Steve Jobs
  Apple社の創設者、今、もっともイノべーティブな会社を率いる
3)Bill Gates
  Microsoft創設者、GatesFund設立し、慈善事業家へのNextStep
4)Eric Schmidt
  Google共同創設者の一人。設立9年で、時価総額17兆円突破
5)J.F.Kennedy
  第35代大統領。ベトナム戦争早期撤退、キューバ危機回避
6)Martin Luther King
  1963年の公民権運動、I have a dream....

日本の経営者で誰がPickUpできるだとうか?本田宗一郎、盛田昭夫、松下幸之助、、、どれも技術者上がりだ。ぴんと来ない。日産のCarols Ghosnか?うぅ~ん、相当、JackWelchの影響を受けている居る感じあるよね。JackWelchは、ニュートロンJackとの異名をとるほど、非採算部門は、売却し、次から次へとM&AによりGeneralElectricsを成長させた。また、彼は、成果主義の徹底と社内教育に力を注ぎ、CEO創出Factoryと別名をつけられるほど、GEを飛躍させた。エジソンもホクホクだろうね。

この上記、6人以外に思い当たらない。参考までに、2)、3)、4)は、ともに、21世紀のIT業界の巨頭達だが、3人のCEO共に、1955年生まれ。ライバルというか、運命の巡り会わせというか、因縁深いものがある。やはり、野球で言うところの、松坂世代のように、互いに意識していることは確実だ。

僕の理想とする人物はだれなのか?今回のブログを書き始めて、今、良かったと思っている。なぜなら、自分の価値感が、すごくあやふやで、理想とするリーダーの名前すら挙がらない。自分のキャラクターが分析できていない。Apple社のSteve JobsのStanford大学卒業式のコメントを聞いて、人間的に惚れた。(彼は、Collegeに入学するも途中退学。Bachelorの資格を持っていない)。僕は、彼ほどのInnovativeCEOになれるだろうか?どちらかというと、JackWelchに憧れる処もあるが、彼ほど、非情に人を切り、ドライに経営ができるだろうか?BillGatesは、天才かもしれない。その天才が、社会慈善に芽生えたら、億万長者の価値感も変わる。自分は、富を他人の為に、分け与えることができるか?Martin Luther Kingの様に、正義感に忠実に、政府と戦い、人民のハートを僕には掴めるか?彼のスピーチは、偉大だ。

いい機会だ。あせる必要ないよ。ゆっくり探す。きっと、自分の中で、明確なリーダーシップ像がイメージできた時に、憧れの人、尊敬する人が出現するのだと思う。そして、将来、その実現に向けて、努力し、得たときに、Happinessのひとつのロウソクが点灯するのかなぁ?(今日のところ、理想とするリーダー不在。絶対、見つける。もしかして、6人を足して÷6が答えだったら、どうするよ?)

2007年6月10日日曜日

親友って何人いますか?


自分の事を書こうと思ったブログだけど、親友って項目になったら、タイトルで、質問疑問形を使うあたりに、自分の中で、なにか、葛藤がある様子。

親友の定義が難しい。そうそう、MBAで学んだことのひとつに、定義次第で、解決策、問題認識は大きく変わってくるんだよね。当然、結論に至るまでの議論過程も大きく異なってくる。他人との議論で、一番厄介なのが、互いの定義が不一致な中で、いくら、朝まで生テレビやっちゃっても、結論はでないんだよね。田原さんは、頑張って、定義を統一しよう統一しようって、頑張るんだけど、お前、聞いてることに、答えてねぇぞ!って思える場面が何度もある。まぁ、僕も、自分なりに解釈して、言いたいこと言っちゃったりするので、進行役、相手役は、苦労するだろうね。気をつけます。

僕がここで、定義する友人とは、異性も含めます。昔、大学の時に、「異性との間に真の友情は成立するか?」って議論で、1晩中、居酒屋で白熱したことを思い出す。僕は、異性との間にSEX感情のない友情は成立すると思っている。僕の勝手な親友定義は下記、

①僕自身が、その友人の事を信頼している
②その友人が、僕の事を信頼しているかは含まない(検証できない、ここは信じるしかない。)
③距離、会う頻度、会話する頻度は、問わない(3年会話してなくても、親友関係は継続する)
④その友人が困ったときに、金銭、身体を提供してもいいと思っている。
(金銭って言うと、それは?って考える人もあると思う。当然、自分の経済力の中で可能な範囲だし、無限連帯責任なんてのに判はしない。でも、本当に困っているならば、短期的に金銭を貸して助けてもいいと思っている。それで、その金が戻ってこなかった時、親友を失う事となるが、それでも、いいかも。。。って思える奴)

以上の4つの定義で、僕の親友は、6人かなぁ?今回のMBA仲間で、外国人が、この6人の中に新しく含むことになったのは、なんか、Internationalっぽくって、なんか、いい感じ♪。6人って少ない?多い?でも、そんな相対比較は、どうでもいいですよ。なんか、6人ってブログに書くと、すごく、そいつ等に益々の愛着が沸いて来ちゃった。

MBAの授業の中に、OrganizationBehaviorってクラスがあります。如何に、他民族、他人種、性格の異なるスタッフを束ねるひとつの手法として、カンパニー信条(Credo)を掲げて、指揮を高める会社がありますよね。どこの会社もやっていますが。思ったことを書面、文面にすることにより、なぜか、目的に対して、スタッフのCommitmentが高まるらしいです。個人のレベルに置き換えてみても、自分の将来の夢を頭の中でイメージし、それを声なんかに発してみて、終いには、「絶対、現役合格!」なんて書道を机の前に貼ると、やる気出ますよね。まぁ、これは、皆が承知の話。(マーフィーの成功の法則は、読んだ事ありません。自分で探します。)同じことなんだけど、今回の僕の例で言うと、6人と決めることで、その6人は、上記4つのCriteriaを突破する際に、顔が浮かび、楽しかった日々が思い出され、その結果、6人とBlogに書くことによって、決定的な物となった気がします。うん、初めて、MBA授業でうけたレクチャーが、実践で役立った気がする。

相対比較ではなく、何人の親友がいたら、自分としては、幸せかな?中学、高校、大学、社会のそれぞれのステージで一人づつくらい、親友が居てくれたら、大満足かな?今後も、Businessの社会で、それぞれのステージ(課長さん、部長さん)で、共に切磋琢磨する仲間なのか、傷を舐めあう仲間なのか、そのそれぞれのステージで価値感が合致した人が、僕の中での4つのCriteiraを経て、親友となるんだろうな。親友とHappinessの関係は、数ではないかもね。Quality(Deepness)かもね。でも、このWidthかDepthかは、あまり、自分にとって、重要ではない。なんか、今いる6人のそれぞれ、浅いけど長い、短いけど濃い関係とバラバラだけど、こんな仲間がいて、今、幸せだと思う。
そうそう、僕は、親友から安らぎとパワーを貰っている気がする。刺激好きだから、常に僕に、SomethingNewを提供してくれる人が好き。僕も、彼らに、刺激を与えられるようなInfluencialな人間でありたいなぁ~って思うかな。

あと、僕は、自分のキャラクターを八方美人だと分析している。誰に対しても、いい顔をしてします。ゴマすり人間な処がある。これは、そうすることで、Conflictを避けたいと考えるから。言い争いは、すごく苦手だし、育った環境からか、すごく拒否反応が出てしまう。でも、これって、すごく Scare of being aloneなのかも知れない。先に、Quantitiyは関係ないなんて、書いたけど、どこかで、Majorityに属することで、皆から嫌われないで居る事で、自分の居場所がそこにある事に、安心感を求めているのかもしれない。これって、一人でいる事に自信がないからかな?自分ってものがなくて、皆に流されているのかなぁ?日本人だから、皆、僕みたいに、Concensus派が主流なのかなぁ? 

時々、八方美人(偽善者)である事に、疲労感はあるけど、これは、言い争いすることによる疲労感よりも耐えられる領域だから、これからも八方美人で行きたいと思いますけどね。。。
友人とHappinessの相関に関しては、自分の中で、はっきりしたものが、今現在、確立しているような気がする。Keep it! Develop it!

映画鑑賞-大日本人


先週の金曜日に、ブログ立上げの為の準備やらなんらで、24時間くらい睡眠なしに過ごしたせいか、土曜日の12:00~日曜日の10:00まで、連続22時間の睡眠をしてしまった。しかし、罪悪感は、なし。よくもこんなに寝られるものだと、ちょっと、感心している。
今日は、ちょこっと、エクササイズして、一汗流し、午後、急にやる事がなくなったため、お台場メディアージュに映画鑑賞へ向かう。未だかつて、一人で映画を見た事がないので、人生初めての経験である。お台場までは、歩いて向かったが、道中、カップルが歩いているのを見て、なんか、愛らしいなぁ~、美しいなぁ~って、思いながら、向かった。これって、個人的には、今まで抱かなかった感覚で、最近めっきり、What is Happiness? を熟考しているから、見え始めたNewWorldなのかな?

映画は、これを見よう!っと、決めていった訳ではなかった。映画館について、時間的に丁度いいものを適当に探した。Pirate of Calibbeanでも良かったし、北野武の監督万歳!でも良かったけど、松本人志、初監督作品-大日本人を見ることにした。全然、なんの映画でも良かった。

この映画、Too Badだった。幸せになれなかった。逆に、むなしく、悲しくなった。元々、松本人志には、何の感情も抱いていなかった事もあるせいか、ぜんぜん、駄目な映画だった。僕が、理解力不足だったからメッセージが伝わって来なかったとも言えるが、ストーリーは、「What is Justice? What is Hero?」みたいな、ウルトラマンや、仮面ライダーのパクリとは言わないが、松本監督が思うヒーロー像を伝えたかった様に思う。映画の節々に、グロテスク、下ネタ、いじめ風、弱いもの苛め、みたいなシーンがあって、そのブラックユーモアが、僕をブルーにさせたんだと思う。入場料(学割使用で1,500円)が高いぃ!とは、思わないし、後悔したとも思わないけど、絶対、他人には推薦しない映画であった。

しかし、彼の映画を見て、僕は、「この映画、嫌いだ!」っと思えた処に、なにか、自分がどんな人間であるか見つめなおす機会を与えてくれた事には、感謝できる。いままでの僕は、映画見終えても、無感想な人間であったから。映画館は、日曜日ということもあって、90%観客で埋まり、大爆笑シーンは、なかったものの、エンディングでは、何人かの笑い声が聞こえた。その笑い声を聞いて、もっと、ブルーになった。自分がカンヌ映画祭の審査員だったら、15分で、退席したと思う。

ただ、見終えて、松本人志の新しいことにチャレンジする精神、自分のイメージをVisualizeできる能力には、ジェラシー感じたし、凄いなぁ~って、のが率直な感想。自分に2時間の枠を与えられて、あるテーマについて、表現しなさい!って言われたら、どんなに予算的にリッチであっても、その発想力がないから、自分には、不可能だと感じた。やっぱり、松本人志は、凄いなぁ。あと、この映画は、賛否両論な映画だと思った。これって、彼にとっては、人間性を判断される作品だし、否定的な意見を受け入れる覚悟ができている事が、凄いなぁ~って、思う。だって、みんな、嫌われたくないから、極力、いい子を演じようとするし、最大公約数的な妥当なシナリオってのも、有り得たとも思う。でも、あまり伝わっては来なかったけど、メッセージは、強烈ストレートだった様に思う。僕って、Conflictを無性に嫌うから、まったく逆性格だと痛感したけど、最大公約数的な妥当なシナリオだったりしたら、相手に与えるインパクトは、少ないわな。。。
ふと、自分がリーダーになった時の事を考えた。八方美人でConflictを避け、誰からも、いい人だねぇ~って言われるリーダー(安部首相タイプ?)と、自分の意見を持っていて、バシバシ主張し、共感者からは、熱烈に支持されるリーダー(小泉首相タイプ?)といろいろなリーダー像があると思うけど、自分は、両方兼ね備えた、バランスいいリーダーに成りたいなぁ~って、思います。そしたら、なんか、幸せだぁ。多くの人に信頼されて、かつ、自分のメッセージで、その人、会社、社会に影響を与えられるような、人間であったら、幸せだぁな~。そしたら、子供からも、パパ格好良い!って言われるかな?

2007年6月9日土曜日

愛って、いいよね。


愛って、よくない。なんか、いいよね。今までできなかったけど、なんか、いっぱいLove Others して、Be Loved By Others されたら、絶対、Happinessだと思う。本当に、僕の乏しい過去の恋愛を振り返っても、燃え上がってる時って、何も要らない。Love is ALL。ちょっと、待てよ。このテーマとして選んだ左掲載の写真は、ホストクラブ愛の写真だった。何かを物語っている。
これから述べるけど、ここでは、結婚前の恋愛については触れない。また、ずっと、後日に、書くネタがなくなった時にでも、Discloseしようと思ってる。そんなネタも多くないけどね。
ここでは、結婚後の家族愛ってのを考えたい。僕、今すごく、幸せ。奥さんと、2人の息子達に支えられて生きている気がする。でも、今は、勉強で東京単身赴任中だけど、僕の奥さんは、最高。自分でも、ここまで惚れるとは思っていなかった。惚れると言うか、感謝で、頭があがらない。理解があって、尊敬の域に達している。いい奥さんを持って、幸せだと思う。
僕は、バリバリの仕事優先人間。MBA勉強前は、家族と仕事ならば、仕事を優先した。平日は、朝6:00には家を出て、帰宅は平均23:00頃だったかな。週に一度は、夜中まで仕事してた。世間的にはぜんぜん評価されないけど、土日も、どちらかは、会社に出かけていた。こんな旦那持ったら、普通の奥さんは、切れるか、浮気するか、離婚だね。まぁ、僕の知らないところで悪さしてるかもしれないけど、僕は知らないからOK。
彼女がGoddessだと感じたのは、僕が、「こんなに仕事大好き人間で、家に居なく、自分優先人間と一緒に居て、幸せ?」って聞いたときがある。彼女の答えは、「555が好きで仕事を選択して、それにやりがいを感じ、Happyならば、いいんじゃないの。下手に、グダグダ、仕事の不満を家で話される方が、よっぽど、うんざり」。違う事例もある。僕が、仕事において自分の能力よりも高い仕事を任され、その重圧に耐えられなくなった時があった。「正直、今の仕事は、しんどい。でも、責任感からか、自分の無能を認めたくないからか、布団に入っても、仕事を考えてしまって、寝付けない。」って相談したことがあった。(どこでも寝られる僕にとっては、超不自然な大スランプな時)。この時の奥さんの回答は、「どうすれば、寝られるの?きっと、その仕事をやりきったら、寝られるんじゃないの?寝られないなら、会社で仕事すればいいじゃん!とことん、仕事すればいいじゃん!」。これを聞いた時には、こいつをキーホルダーにして常時携帯したいとも思った。こいつと結婚して、本当に、正解だと思った瞬間だった。これを読んだ人は、『奥さんは、555に興味がないんじゃないの?』って言う人が居ると思う。まぁ、大半は、そう思うだろうけど、僕は、そんなコメントは無視する。
繰り返すけど、大半の人が抱く感想は無視するとして、僕の奥さんが心から、そう感じているとするならば、それは、すごい愛だと思う。僕は、本当に幸せだ。幸せだなぁ~。(幸せになりたい!)。むっ、っ、っ、待てよ。僕は、本当に疑い深い人間だ。彼女は「亭主元気で留守がいい」って、(懐かしくない?まぁ、どうでもいいけど)、僕が稼ぐ給料で、うまく家計をまかない、子供への愛>旦那への愛で、生きがいを感じているのか?だとしたら、これって、ぜんぜん、愛じゃないじゃん!
僕が疑い深くなるのも理由がある。なぜなら、1)僕自身が、彼女への愛に自信がないから。大好きだし、離婚するなんて言われたら泣いちゃうし、でも、だからといって、これは、自分のわがままだけであって、彼女への献身度を測定したときに、給料以外に貢献している部分が見当たらない。2)夫婦関係を当たり前として捉え、重要視しておらず、旦那は、外で金を稼ぎ、妻は家庭を支える構図が、自然と成り立っており、愛を語る機会が乏しい。(誤解しないで。彼女が働きたければ、僕は尊重するし、今は、彼女は自分の意思で専業主婦を選択しているから、それを尊重しているんだからね。) 3)SEXの回数が・・・・・
Googleでセックスレス検索したら、3週間以上、SEXがないと、医学的にはカウンセリングの対象となるそうです。僕たち夫婦は、手術が必要なレベルだよね。もう、手遅れ?って感じ?
愛ってなんだろうね。いっぱいLove Othersなんて夢を抱きながら、自分を優先している。Be loved by others なんて空想抱いているけど、これって、完全な僕のエゴ。昔の彼女が、こんなコメントをしたのを思い出す。「I love you because I need you よりも I need you because I love youじゃなきゃ嫌!I need you because I want youは、最悪!」ってね。当時の僕は、Because I want だったかもしれない。愛って、自分をどこまで犠牲にできるか?また、それを負担と思わないし、犠牲にすることに喜びを感じる。その献身の見返りとして、Be Lovedされるんだろうね。僕は、まったく、逆の人間だ。
よぉ~し、明日から、自分を犠牲にするぞ!って、すぐに変われるものじゃない。少しずつは変われるかもしれない。それを追求することで、なにか、自分の中で失う物があるような気がして後髪を引かれる。仕事での達成感とかね。2者択一なのか?2兎追うものは1兎も得ずか?愛のある生活ってなんだ?だれか、教えて!
初めの写真の話に戻るけど、僕は、ホステスクラブなんかで、愛は買えないと思っている。しかし、快楽は買えると思っている。しかし、それとは逆で、ホストクラブでは、愛を買えると思っている女性が居るらしい。それを研究している人曰く、そこには、仮想恋愛が成立し、彼女たちは、献身的にも貢ぎ、ホストの気を引くことで、その負担に充実感を得る。こんなの愛じゃないよ。って思うけど、これも、愛なの?
だれか、教えてよ! 特に、仮想恋愛を研究している人!



お金の価値について


これって、ある意味、典型的なベタな問いだよね。そりゃぁ~、人間、生きるためには、お金が必要だし、家族を養っていくには、当然、Necessary。お金持ちならば、幸せか?みんなは、どう回答するのかなぁ?

サラリーマンの僕は、会社への献身、貢献の評価としてお金を解釈する時もある。でも、自分の献身、貢献がいくらが妥当なのか、把握してない。時々、転職情報なんかで、年齢、キャリアを入力すると、800万円くらいって出る。ほっほー、今の給料では、相当、評価されていない事になる。でも、きっと、田舎生活してるし、そこそこの会社勤務してるから、世間と比較した時に、並以上の収入はあるとは思う。これって幸せか?

相対評価で、同期入社連中よりも、給料が高いとかで、一種の喜びを感じる事はある。他人よりも収入が良いことで、自分の人間としての価値が勝っていると思って、喜ぶんでいるのかもしれない。ちっちゃな人間だなぁ~って、つくづく、思う。

人間だからか、僕だからか、分からないが、お金は多ければ多くて何も問題ないと思う。だって、ある一定の幸せはお金で買えるとも思えるからである。車、マンション、旅行とかって、一種の幸せを感じるシーンでもある。でも、人間って欲深いから、次から次へと、物欲が沸いてくる。本当に、たくさんお金を稼ぐ方法を考えるよりも、正しくお金を浪費する方法を取得した方が、幸せに近づくような気がする。

では、最低限必要なお金って、How much $$? なんだ、この質問。。。家のローンが6万円で、保険の積み立てがあって、子供の為の貯金して、おっと、お小遣いも2万円/月もらって、20万円あったら、最低限か?あっれ、奥さんのお小遣い考えてないから、きっと、彼女は不満だと思うから、最低限22万円必要か?よーっし、このくらいの金なら、残業なんかしなくても、ゲットできるし、会社での業績能力評価が悪くても、確保できる収入。これで、17:00に退社し、アフターファイブを自分の時間とし、土日はいっぱい遊ぶぞ!って、それを満喫するだけの軍資金がない。

いったい、いくらあったら、満足できるんだろうか?お金とHappinessの関係を第一回目として、取り上げたいが、早くも、壁にぶつかった。この先のブログが思いやられる。もともと、学生時代も(今も学生だが)、暗記教科は抜群だが、発想教科(国語、数学)は、なんか、パッとしなかった。国語は苦手中の苦手で、センター試験で90点/200点って、偏差値50切ってたかも。。。英語は、暗記分野と解釈し、これは当然、偏差値75だけどね。まぁ、Happinessと偏差値についても、いつかの機会に考えたいけど、ここで言いたいのは、発想の乏しさに、それを言葉にする語彙力も乏しいので、さらに厄介。英語でいくか?それでも、当然、日本語の方が、語彙力が多いから、日本語に頼るしかない。本題に戻って、なんだ、お金って???

もし、宝くじとか当たって、3億円ゲットしたら、何するんだろう?悲しい事に、その心構えができていない。って、宝くじは、人生で3回くらいしか、購入したことないや。個人的に、ぜんぜん、Dreamを感じない。アメリカみたいに100億円ロットがあったら、Dream感じるか?でも、なんか、興味ない。よしよし、だんだん分かってきた。俺は、あまり、お金とHappinessとの相関性が低いな、きっと。もしかして、いい奴かも知れない。

ここに、いい例がある。ある女性A(結構、一流企業勤務の総合職で収入◎、顔◎、性格◎、判断力△)が、最近、付き合っている彼との将来(結婚)について悩んでいるようだ。彼は、自分の夢を求めて、社会に貢献する仕事を極めようと、ある意味、格好良い。でも、収入は、ボランティアベース。ここでは、彼の容姿、性格は除外し、収入だけに議論を絞る。ここでの僕のA子さんへのアドバイスは、「自分と価値観が共有できて、一緒にいて幸せだと思えるならば、結婚すべきじゃないの?離婚なんて恐れず、離婚してもいいだろうし。将来の収入不安。お金は、持っている範囲内で、どうにか工夫して生きていけるもの。お金よりも価値観を優先すべきで、結婚すべきだよ。」って言っちゃった。自分なりに真剣に考えて、出た、コメントだった。しかし、もし、僕が彼女の立場だったら、絶対に結婚しない。Why? だって、お金があった方が、心の余裕ができて、幸せになれる確率が高いもん。。。彼女は、「だったら、自分が働いて、家庭を支えてもいい!」。この言葉を聴いて、感動した。彼女の中で、愛>Money。僕もこうありたいと思った。この瞬間、表面的には、Moneyは重要なFactorだけど、彼女のコメントに感動したことから判断して、自分は、愛>Moneyの思想がすばらしいと考える人間である事に気づく。短期的視点でお金は重要だが、長期的Wideな本質的には、やっぱし、愛だよ。愛。 (お金編、終了)

Blogを始めようと考えたきっかけ


なにか、最近、幸せって何かな?って考えるようになった。これって、精神的に滅入っているからではなく、自分はどうあるべきか?自分にとって、家族にとって、社会にとって、自分はどんな美(Mission、Vision、Value)をもって、生きていこうか?きっと、このMVVを極めたとき、きっと、幸せが手に入る気がしてきたから、ブログを始めることにした。日記風に、頭の中のイメージをコメントとすることで、Visualizeさせて、自分自身にとって、理解できるものとしたいと考えるようになった。

こんな事、いままで考えなかった。今までの人生は、十分に幸せだったし、多少の不自由はあったかもしれないが、あまり記憶にない。自分中心に世界は回っていたような気がしたし、ある程度、自分の努力で、ちょこっといい大学にも入れたし、そこそこの会社にも入れた。なんで、こんな事を考えるようになったんだろうか? Why?

It is because that 今、東京にてMBA取得を目指して、頑張ってる中で、究極な問いを見つけてしまった。自分で見つけたわけではなく、クラスのDiscussionテーマとして、議論する内に、なぜか自分の「Happiness」に対する価値観が漠然としている事に築いた。今後、ビジネスマンとして、そして、家庭人として生きていく中で、この価値感がファジーな状態では、本当のHappinessに出会えない、通り過ぎてしまうのでは、知らずに通過しちゃって、後から後悔するのでは、、、と思うようになった。

自分にとってのHappinessが定義でき、その定義のHappinessを獲得した時、このBlogを閉める時としたい。いつの日か、ゲットしたいよね。いつになるのかなぁ?まぁ、楽しく、のんびりと、だらだらと、日記していこうと思っています。