友達のHPを紹介して終了します
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僕個人のHappinessについて、だらだら述べる。Are you happy? Yes, I am!と、言えるように。。。
時刻:
2:15
3ヶ月弱になりますが、いままで、僕個人に関してのみ述べてきたブログを読んでくださいました読者の皆様、どうもありがとうございました。本日、9月6日(木)台風9号が静岡県+首都圏を直撃しようとしている夜に、最後の更新を致します。今まで、ひたすら長く、だらだらと555-Happiness感をテーマに綴ってきましたが、読者からのクレームとして、
時刻:
20:44
このブログをどのように終えようか、今、考案中。自分にとって、この一年を無駄にしたくなかったし、必死にモガいた一年だったし、自分のMission(使命)、Value(価値)、Vision(目指すもの)ってのも問うた一年だったし、それをKey-Word=Happinessを軸として記録に残すことで不滅なものとしたかったし、10年後、20年後に過去を振り返った時に、自分自身に最大限のエールを贈るものとしたかったし、そんな動機でブログを開始した。
3ヶ月弱のブログ連載であったが、自分でも驚くほど、毎日良く更新したなぁ~って褒めてあげたいと思っています。昨日の時点で、文字数にして300,000字に達しましたし、原稿用紙にして700枚強になります。当初は、このブログを本にして30部ぐらい印刷して、両親はじめ、親しい友人なんかに、高額で売りつけようとも考えました。実際に、先日、自費出版会社数社にネット見積依頼をしたところ、最安値の出版社でも90万円ほど費用が発生することが判明しました。(見積条件=限定30部、カラー、700ページ、ハードカバー、イメージ=落合信彦っぽい奴、書店流通なし、委託販売なし)ふぁぁ~、一冊辺り3万円也。これを買ってくれと読者に頼むのは詐欺だ。宗教本でない限り、絶対に売れない。だから、限定30部だから高額なのかと思い、100部に増冊して再依頼したところ、見積回答は100万円。追加70冊分の紙代&印刷工程代のいわゆる製造原価分だけが追加になるだけだったけど、一冊1万円まで僕にとっての仕入原価は低減できるが、マーケティング的に、どう足掻いても、100冊は無理っすよね。だから、「555-Happiness Diary」の出版を心待ちにしていたファンにとっては、大変、申し訳なく思いますが、この出版PJは、辞めました。そう、辞めましょうよ。
さて、結論として、このブログは、9月2日(日)次回号を最後に絞めます。祝卒業できましたので、The Endが許されるかと自分を慰めています。次号にて、いよいよ、555-Ture Happiness(真の幸福)を公開することに・・・・
PS1:
公明党の支持団体である創価学会は、たくさんの関連本を出版しております。読んだことはありませんが、彼らも、非常に、人生とは?幸せとは?っと訴えかけています。その出版物の中に、「Are you Happy?」ってな30代女性をターゲットとした雑誌がありますが、我がブログは、創価学会とは一切関係ございませんので、ご理解&ご承知ください。
PS2:
大川隆法氏が率いる幸福の科学って団体も、人間のHappinessを追及しています。彼らは、私なんかに比べたら視野が広く、自分だけのHappinessだけでなく、みんなも幸せにしてあげたいらしく、積極的に活動されています。それに比べたら、自分は、自己中だなぁ~って思います。我がブログでは、誤解を防ぐ為に、日本語での"幸福"をさけ、敢えて、Happinessと使い続けました。当然、英和辞典内では同じ意味を指しますが、「幸福の科学」とは、一切関係ございませんので、ご理解&ご承知おきください。
時刻:
0:05
21:40発、東京発最終こだま(浜松駅止まり)の中にて当ブログ執筆中。今日の一日は、とても長く、自分の人生においても忘れる事のできない日でありました。今日一日のすべてのシーンが今、回顧されます。要するに、今日は、学位授与式(卒業式)があり、寮のキーを返還し、その庭で仲間連中とBeerパーティーをして、この新幹線に至る訳です。すべてのシーンが、最後となる訳です。
このフィーリングは、人生で2回目になります。1度目は10年前の大学卒業時に、やはり東京駅を離れるその瞬間に、寂しさが襲ってきて、まぁ、BGMは、「いま、春が来て~♪」なんて曲がながれ、都落ちのフィーリングもありました。涙こそなかったですが、ジーンと着たMomentだった訳です。23歳の春だったですね。あれから10年経過して、今日、2回目のその都落ちってな雰囲気を、また痛感しなきゃならないのは酷ですね。しかし、今回は、1回目と比べ物にならないほど、重いです。Too heavyです。
今日一日は、自分にとって偉大であり、いつもの通学路を利用する事も今後はないですし、あの勉強したキャンパスを訪問する事も、今後、maybeないですし、寮をチェックアウトする際に、なかなか玄関で電気が消せない。部屋には何もなく空っぽなんだけど、電気が消せない。1回、部屋の中に戻って、全体を見渡し、「一年前に、初めて、寮の部屋に入った瞬間は、こんな感じだったんだぁ~」って、不安に怯えていた自分を解雇し酔った。寮庭でBeerPartyする仲間全員と握手&ハグをして、見送られるように寮を後にした。すべてのシーンが心を打った。
そんなジーンとくる事には、予感があった。この一週間は、正直、体力的にも、精神的にも少し疲れた感があった。この一年、一度も体調を壊さなかった僕としては、最後の最後に襲ってきた疲労感だった。疲れが取れない。頭が痛い。引越の荷造り、江東区役所へ転居手続き、会社へのMBA報告会資料作成&その作り直し、外大時代の連中と同窓会的小パーティーしたりと、正直、しんどい毎日を過ごしたんだけど、8月30日(木)夜は、その疲労が一気に自分に襲い掛かってきて怖かった。奥さんに、「これは、夏ばて?栄養失調?完全な寝不足?エアコンがんがんによる風邪?なにを食べて寝たらいい?理由はなにかな?」って聞いたら、「すぐ寝ろ!」って言われたので、パワーつけるためにカップラーメン購入して、栄養剤飲んで、ベットに横になった。最近は、涼しくなってきたとはいえ、普通、一旦寝たら起きない僕も、寝苦しくて途中で目が覚めちゃった。だから、床に寝ることにした。床は少し冷たくて、心地よくて、やっぱり、僕は、床上で寝るのが好きなんだなぁ~って過去を思い出し、気持ちよくなってグッスリ寝れた。MBAスクールが始まったばかりの頃は、授業に付いていけず、睡眠3時間くらいで一日を廻していた。その3時間を睡眠に費やすこと事体、もったいないと感じたし、また、一度寝たら目が覚めないのでは?って恐怖に怯えていた。だから、3時間くらいで目が覚めそうな床で寝ることを思いつき、そこで寝ていた。当時は、マフラーして床上に寝てたし、寒かったなぁ~って懐かしい。
今日、僕は、幻想を見た。少し怖かった。それは、寮庭で賑わう仲間達に別れを告げ、最終新幹線に間に合わせる為に東京駅へ向かう”ゆりかもめ“の中で見た。少し酔っていたからボーッとしてたんだけど、誰も座っていないはずの前の席で、下を向いて、必死に本を読んでいる青年を見た。本当に、外の風景、電車内の他人の会話なんか無視するように、夢中に、いや、死に物狂いでペーパーを読んでいる青年だった。話しかけたかったけど、こっちも怖いから、ボーッと眺めていた。ふと我に帰ると、そこには、誰も座っていなく、あぁ、幻想か?って気付く。自分の一年前の姿(睡眠不足、時間があったら予習)を幻想したことに気付く。その青年を凄く愛らしく感じた。めちゃくちゃく可愛く、なんか、自分の子供のように感じた。
思うんだよね・・・・。東京で一旗挙げてやろう!とは思わないが、それでも東京を後にすることは寂しいもので、ましてや、今回は、幻想をも見てしまう超異常現象な訳で・・・。でも、そうやって人間てのは成長していくのだろうなぁ~ってツクヅク感じる。今回、人生初の幻想を見たことは、この一年が自分にとって偉大であったことの証明だろうし、更に、たった一年しか経っていないのに、一年前の自分の姿を幻想として見て、「愛らしい」っと思えた自分自身を、今は、誇りに思います。Happy Graduation & Future !!!
時刻:
0:06
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0:06
僕、朝潮(高砂親方)大好きなんだよね。もう憎めないって言うか、ガチャピンみたいだし、カワイイって存在だよね。でも、今、彼は、正念場なんだけど。
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22:00
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23:47
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23:46
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左の「Defining Moments」とは、直訳すると「その時、その場面を定義する」って意味になりますか?要するに、予期せぬ場面に遭遇した時に、如何なる行動を取るか?取るべきか?ってのを問うた内容です。この本は、Harvard Business SchoolのJoseph L. Badaracco, Jr教授が書いた本ですが、重い内容の本です。
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23:44
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23:43
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23:42
公約実行のアクションプラン
数分の沈黙のあと、虎たちが噛み付いた!
時刻:
11:53
最後に、僕が、原田を理想するのは、一発狙いの大飛躍(その豪快さ)って事では全くない。彼の人間性が大好きだ。苦しい時、悲しい時、絶体絶命の時に、いや、苦しければ苦しいほど反比例するように、彼は、いつも笑っている。そして、嬉しい時、偉業達成した時には、逆に、泣き崩れる。自分は、そんんな大人(親、上司)になりたいと思っている。
最後の最後に、上記ストーリーを十分満喫できる原田映像をYouTubeで御覧ください。「これからも、何回も復活します。」「金と同じと書いて、銅っと呼ぶ」「みんな頑張ってるんだ!」「ふなきぃ~、ふなきぃ~」
時刻:
23:41
時刻:
23:33
黒字 =インターネット記事のコピー主体
赤字 =トピックス(偉業)
青字 =555感想コメント
藤原氏555家系図
長上郡のうち天王郷といわれた土地で、そこは後に寛文年間(1661~1672)頃に分村して下堀村と呼ばれるようになる地区であるが、大竹藪をめぐらした屋敷を構える鷹森(高森)太郎左衛門重治がその元祖であり、慶長8年(1603)に死亡した。所謂、2003年が死後400年という事になり、静岡県市野町にある宗安寺に、約60人の子孫が集ったそうである。555実父が、集合写真で、最前列をキープしているあたり、度胸だけは尊敬します。もともと555家は、高森(鷹森)姓から始まっている。織田信長が今川義元を桶狭間で破ったのが、1560年であり、この今川義元の地侍であった高森左衛門重治が、下堀に逃れてきて土着したとされている。
姓由来(家康)&江戸時代弓術日置流 リンク先
時刻:
22:45
----- 以後、詳細トピックス(苗字は、都合上、555置換え) -----
黒字 =インターネット記事のコピー主体
赤字 =トピックス(偉業)
青字 =555感想コメント
555家住宅主屋
静岡県浜松市天王町759-1.平成17年国有形重要文化財指定.登録番号=22-0099.昭和12年施工.木造2階
時刻:
23:23
----- 以後、詳細トピックス(苗字は、都合上、555置換え) -----
黒字 =インターネット記事のコピー主体
赤字 =トピックス(偉業)
青字 =555感想コメント
時刻:
23:26
----- 以後、詳細トピックス(苗字は、都合上、555置換え) -----
黒字 =インターネット記事のコピー主体
赤字 =トピックス(偉業)
青字 =555感想コメント
555家&中村家との関係 (幼なじみ)
555家の過去功績をさかのぼる時に、中村家との建築ビジネスを介したつながりが深く、切っても切る事ができない関係にある。名門・中村家の直系実家は、浜松市天王町東にありましたが、ここ10年間で、悲しい事に取り壊されてしました。私の実家から東に無呼吸ダッシュで5分ほどの距離にありました。小学生の時は、爆竹投げて遊んでましたが、とてつもなく広い敷地でしたので、問題はありませんでした。この中村さんは、建築家として数々の偉業を成し遂げていますので、下記にネット記事を貼り付けます。郷土の尊敬できる先輩の1人です。
中村は東京帝大建築学科への進学後、555純平の妻いつ(田代逸)の妹きし(田代岸)と結婚し、両家は姻戚関係になった。田代家は旧天竜市(旧二俣町)で代々庄屋をつとめ、天竜川流域で回漕業(回船問屋)を営んだ旧家で、当主の田代嘉平次(1842-1916)は初代二俣町長をつとめた人物である。その長男の英作(1864-1936)も二俣町長をつとめたあと、静岡の三十五銀行や朝鮮の漢城銀行の支配人をつとめるなど、中村の建築活動をめぐる人脈といえる。
中村與資平 (中村兼二の父)
韓国の首都ソウルの代表的西洋建築である韓国銀行本店(韓国の中央銀行=旧朝鮮銀行本店)、あるいは観光客でにぎわう徳寿宮の国立現代美術館別館(旧李王家美術館)、また中国遼寧省大連市の中心にある中山広場のロータリーに面してたつ中国工商銀行(旧朝鮮銀行大連支店)など、今も堂々とした風格を見せるこれらの建物は20世紀のはじめから1930年代にかけて、静岡県浜松市出身の建築家中村與資平によって設計されたものである。
中村による作品はこれらにとどまらず、韓国、北朝鮮、中国東北部、そして日本国内におよそ200件を数えている。建築後、すでに70年から100年近くを経過した今では、すでに存在しないものも多いが、かろうじて戦火や再開発の波を逃れ、役所や学校、銀行、病院などの現役の建物として、また国や地方の文化遺産として現存しているものも少なくない。
一方、日本国内には豊橋市公会堂、静岡市役所、静岡県庁本館、三十五銀行本店(静岡銀行本店)、李王家大磯別邸(神奈川県大磯町、通称滄浪閣)、大阪の済生会中津病院本館(大阪市北区)、長野の樋口病院(長野県小諸市・小諸病院)などのほか、出身地の浜松市にも遠州銀行本店(静岡銀行浜松営業部本館)と浜松銀行集会所(旧浜松銀行協会。2004年に浜松市に譲渡)が残っている。また贅を凝らした和風建築だった浜松市東区天王町の555邸主屋は戦後、旧天竜市(浜松市天竜区)の宗建寺に移築されている。
時刻:
23:29
今日(8月13日)から、しばらく、アメリカに行ってきます。2ヶ月前には、チケット購入していた割には、卒論とかなんだかで、全然、今回のアメリカ旅行の事前勉強ができなかった。毎回、海外旅行は、こんな調子で臨んで、行きの飛行機の中で浜松商業並みの集中力で訪問地の知識を習得努力するんだけど、今回は、いっぱい関係ない書籍を持ち込むので、そんなの飛行機の中で読んでたら観光地の勉強ができないよ。まぁ、どうにかなるだろうけど・・・。
そんな事で、僕って、今までに何回アメリカに行ったんだろうかと、ちょっと、纏める。アメリカは、嫌いだ嫌いだって言いながら結構、訪問しているような気がする。
0)86年夏休み Anchorage(ロンドン行く途中、入国してないから未カウント)
1)95年正月 SFO→LOS→SanDiego→Mexicoティファナ
2)96年6月 SFO→Oregon(結婚式参加)
3)00年正月 Atlanta→NY→Philadelphia(千年際)
4)04年10月 Hawai
5)05年~06年 Georgia/Atlanta (&Chicago)
6)07年夏休み Chicago→St.Louis→Kansus
10年間で、これだけ行けば、頑張ったほうだよね。よく行ったし、身近な人もアメリカに住んでるし、半年間住んだし、そこから見えてくるアメリカは、アメリカっていう国は嫌いだけど、アメリカ人は好きなんだよね。日本人とは違うって感じがする。アメリカ人の好きなところは、自分の事とかあまり気にせず視野が広いってイメージがする。それに対し、日本人ってのは、自分のこと見つめすぎって感じで、視野が狭い感じがするよね。例えを挙げるならば、米人はTシャツ&ジーンズでお構いなしだけど、人権問題だとか、ホモ解禁でもいいんだけど、自分と関係ないことでも倫理観に基づいてデモとかするあたり格好良いよね。それに対し、日本人ってのは所持品とかに異様に拘るし、服のセンスも抜群。しかし、世相に対しては、無関心だし、日本って平和な国なんだろうね。どの国も一長一短あるもので、僕は、アメリカ人のSmileってのに抵抗ある一方、日本人の絆ってのは誇るべき事だと思う。要するに、良いところも悪いところも、それぞれ持ってるって事です。
時刻:
4:11
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0:09
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3:52
最後の最後に、自分を追い込んだ2週間でした。殆ど、睡眠する以外は、寮の24時間図書館に篭ってた。でも、ずっと机に座っても居られなかったから、散歩しながらアイディアを発想したり、外でタバコ吸いながら文章を校正したり、お疲れ様でした to me. 正直、シンドカッタけど、ちゃんと、卒論は提出しましたよ。これで卒業できると良いのですがね。まぁ、ゼミの先生にも添削してもらったし大丈夫だよね?ここにきて他の単位を取りこぼしてないか、ちゃんと単位計算あってるか心配になり、一応、再計算してみたけど、大丈夫そうなんだよね。ねッ?
まぁ、こんな事を555価値感天秤に掛けてみて考えたりしましたが、それは、さほど重要ではなかったです。また、同様に、お金&地位ってのも、さほど重要ではなかったです。
それ以上に悩んだことは
①自分の追及するHappiness感
②自分がこの世に存在する意義(何故、この世に生を授かったのか?)
③自分の為に or 他人の為に?
④自分のMission(使命)とは?
⑤自分の信条は?
そんな内容の卒論でした。では、書籍出版を楽しみにしていて下さいね。では、店長、休憩入りまぁ~す!(豪遊開始)
時刻:
0:22
私見 (これが、一番重要)
BaMawの日本びいき、現在ビルマの国軍記念日に軍艦マーチ♪が流れることで、大東亜戦争が美化されるべきものでもない。そんなに単純ではない。現在、ミャンマーの歴史教科書には、当時の日本をファシスト、イギリスを帝国主義と書かれているそうである。歴史は、そんなに簡単に論じられないと痛感するのは、ミャンマーからの留学生に、「ならば、日本は、ビルマ独立貢献国として、喜ばれているのか?」って聞いたところ、「・・・・・」だからである。複雑である。
時刻:
3:07